「なる」ともいえるし、「ならない」ともいえる。

当たり前の話ですが、結局は自分でどれだけ勉強するかにかかっているからです。

ご存知のとおり、外大卒で外国語ができない人など珍しくもなんともありませんし、わたしはそれでいいと思っています。

その人の現時点の人生で、外国語のウェイトがそれほど大きくなかったというだけのことで、18歳の時点でそれを見通せるはずもありません。

入学してから、自分に合わなかったことがわかることも多いのですから。

 

外大で受けられる授業にしても、時間数からして大したものではありません。

わたしの行っていた神戸市外国語大学では、専攻語学の授業は週に3日、2時限ずつの計6時限しかありません。

つまり、90分×6で540分、1週間に9時間しかありません。

おそらく他の大学でもそう大差はないでしょう。

「ええっ、9時間もあるの?」と思うでしょうか?

そんなことはありません。

1週間は168時間あります。

そのうちのわずか9時間です。

その限られた9時間で空前絶後の素晴らしい授業をしてくれるかというと、必ずしもそうとは限りません。

予習復習がありますし、他の授業もあるので、9時間しか外国語に触れないということはありません(そういう学生もいますが)が、いずれにしても、学校から提供される授業というものは大した長さではありません。

 

では、なぜわざわざ外大などに行くかというと、

そこには、圧倒的に外国語が好きで、好きすぎるあまり外国語の研究者になってしまった変な人(つまり先生)がいたり、圧倒的に自分よりも頭がよくて、逆立ちしても勝てそうにない他の学生がいたり、自分では一生かけてもそろえられないような圧倒的な蔵書をもつ図書館があるからです。

生まれてはじめて大学の先生の研究室に入ったとき「一人の人がこんなに本を持っててもいいんだなぁ」と変な感心のしかたをしたことを覚えています。

小さなことですが、無意識にかけていたリミッターが外れた瞬間でした。

つまり、「すごいなあ」と感服させられたり、「この人のようになりたい」と憧れさせてくれるような人がいるから大学に行くのです。

そして、どうやったらそこまで到達できるのかを自分なりに考え、自分を成長させるプロジェクトを組み、それを実行することが勉強です。

だから、外大でしなければならないことは「この人すごいな」とか、「この本すごいな」と思えるものを早めに見つけておいて、あとは家ででもカフェででもマクドででも、その憧れとの距離を埋める作業をゴリゴリと進めていくだけです。

大学というのは、そういう人が生息している確率が高い場所ですが、いまはネットなどでも超人のような人がいくらでも見つかりますし、昔より簡単に知り合いになったり、会いに行ったりできるので、そういう人が自分で見つけられるならば、あえて外大に行く必要もないでしょう。

「大学の学費分の年間50万円で徹底的に教えてください」といって、弟子入りを志願するのもひとつの手かもしれません。

 

つまり、大学に行くのは自分の小ささ、勉強の足りなさを知らしめてくれる人に会うのが目的であって、実際に自分を高めるてくれるのは、孤独にせっせと励む時間でしかありません。

大学に文句を言うのは、そういった人の目利き、探す努力ができない自分にも問題があると考えたほうがいいでしょう。

これは外大に限らず、普通の大学・民間のスクールに行くのでも変わらないことだと思います。

 

 
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講師の岡本悠馬は鍼灸師です。
神戸市中央区の鍼灸専門治療院・南天はり灸治療院
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