『ロシア語だけの青春 ミールに通った日々』(黒田龍之助・現代書館)という本を読みました。

著者はロシア語言語学の本を多数執筆されていることで有名な黒田龍之助先生です。わたしのブログでも、これまでいくつかの著作を紹介してきました。

本書は現代書館のサイトで「ぼくたちのロシア語学校」というタイトルで1年間連載されていたものです。本書は、連載部分にあたる1部「生徒として」に、2部「教師として」、3部「再び教師として」を加えて出版されたものです。

かつて、東京に「ミール・ロシア語研究所」というロシア語学校があり、数多くのロシア語人材を輩出してきました。このことも以前ブログで書きました。

黒田先生はこの教室でロシア語を徹底的に叩き込まれ、後には教壇に立つ(実際には「座って」いたそうですが)ようになりました。

そこで経験したこと、出会った人たちのこと、先生から教わったことなどを書いているのが本書です。

どこかで「いずれミールでのことを書くつもり」とおっしゃっていたので、その約束を果たしてくださったことが嬉しくて、現代書館のWeb連載中は隔週の火曜日を心待ちにして過ごしていました。

この本も当然発売日にジュンク堂書店に駆け込んで手に入れました(ネットで予約していたのですが、発売日に読みたくてそっちはキャンセルしてしまいました)。

自分が付箋を貼った部分を少しだけ紹介します。

ロシア人と同等の発音を目指さない。このことを疑問に思う方もいるかもしれない。だがわたしは、発音矯正の本質がここにあると信じている。

 

話せるようにならないのは、訳読が悪いのではない。その後に暗唱しないからである。どんなテキストにせよ、訳出した後に口頭で、日本語から外国語へ訳す練習をすれば、必ず実力がつく。家で辞書を引いてくる作業は、外国語学習の準備にすぎない。和訳を確認したあとで暗唱するのが勉強であり、教師はそれをサポートするのが任務である。

 

外国語を専攻する大学生は、授業で覚える単語が実用的でないと、不満を漏らす。こんな使えそうもない単語じゃなくて、もっと役に立つ単語を教えてほしいという。その一方で、スラングや流行語が喜んで覚えたがる。

だが、何が使える単語で、何が使えない単語かは、学習者には判断できない。

とくに大学生の語彙なんて、たかが知れている。

 

授業中に「自然に」話しているようではダメなのだ。

静かで、落ち着いて、先生をはじめみんなが耳を傾けるなかで、いくら上手に発音できたところで、本番はそんなふうにいかない。周りが煩かったり、相手がそっぽ向いているところで注意を引きつけたり、コミュニケーションとはそういう駆け引きではないか。通訳の場面だって、大声を張り上げることはしょっちゅうだ。怒鳴ったことのない外国語は本物ではない。

 

ミールの授業はいわば訓練である。ひたすら発音し、暗唱した成果を確認するといった、単純作業の繰り返しが基本。個性なんてほとんど出ない。

 

そもそも発音練習に個性はいらない。

個性的な発音は、むしろ下手な証拠。お手本どおりを目指すのだから、それも当然である。その結果、ミールで一定以上のレベルに達した生徒は、発音が驚くほど似通ってくる。

 

人はなんらかの見返りを求めて、外国語を学ぶ。

でも。

ミールには見返りなんてなかった。

 

挙げようとすればいくらでもあるのですが、このへんにしておきましょう。

黒田先生の本はいつも軽やかで、力の抜けたユーモラスな文章で進めてくるのに、きまって最後に少しホロリとさせられるのがズルい。

「中国語だけの青春」を送ったわたしですが、「自分はミール・ロシア語研究所の生徒でもある」と、勝手にそう思っています。

 

帯にはこうあります。

「ひたすら発音、そして暗唱 他のやり方は知らない」

いつもは本の帯はすぐに捨ててしまいますが、この帯だけはずっとつけておくつもり。