ひたすらスキマ時間に詰め込むような学習をしていた。

 

駅へ行くまでの道を歩きながら、掃除をしながらシャドーイング。

スーパーのレジで並んでいる間にスマートフォンで中国語の記事を読む。

電車に乗っている間は読書。

トイレでは短文を暗唱。

などなど

 

もちろん、四六時中勉強していたわけではないが(していたら自分はもっと立派な人になっていただろう)、スキマ時間にひたすらインプットをする練習をしていた。

それについては間違っていなかったといえる。学生のときからずっとそういう勉強の仕方をしていて、とりあえず中国語を使って仕事ができるようにまでなれたのは、それなりの努力の賜物だと思っている。

しかし、インプット練習をしている時間は、自分で物を考え、文章をひねり出すことに使えた時間でもあった。

 

今、自分の主な移動手段は自動車である。

車の中というのはプライベートな空間だから、外国語学習にはもってこいである。

好きなことをしゃべりちらすことができる(してないけど)。

大声でシャドーイングができる(これはやってる)。

爆音で音声を聴くことができる(ほどほどにやってる)。

 

しかし、運転しながら外国語の練習をするというのはけっこう疲れるもので、ずっとやっているわけにもいかなくなってくる。安全が何より大事だから、集中力が切れるのはまずい。運転に気を使っていると、あまり外国語を聴くことに気が回らなくなってきて、何を言っているのか追いかけきれなくなることがある。

それで、練習にも疲れ、音楽にも飽きてしまうと、オーディオは止めてしまって、エンジン音を聞きながらひたすら走る。

そのとき、頭のなかにはさまざまな考えが去来する。

過去のことを思い出したりもする。

未来のことに思いを馳せたりもする。

あまり過去とか未来とかのことを考えすぎないようはしているけれど、そんな風に好きに考えを遊ばせていると、なんとなく、「こういうことを書こうかな」とか「自分はこんな風に考えるな」というアイデアが浮かんでくる。

そうして、アイデアが湧き出るままに遊ばせていると、なんとなく、書きたいこと、言いたいことが出来上がってくる。

今回の記事もそうして浮かんできたものだ。

そういえば、大学生のときに新聞配達のバイトをしていて、団地の階段を上り下りし、バイクで住宅街を走っていたときには、実にたくさんの空想、というか妄想が浮かんできたものだ。早朝のバイトが終わって自宅に帰ると、その妄想をせっせとブログに書いていた記憶がある。くだらないウソ話ばかりだったけれど、想像力が自由に跳ね回っていて、そのときは最高におもしろい、笑えるものが書けたと思って満足していた。

ひたすらに何かのトレーニングメニューをこなすことも意義があることだけれど、そうやって頭を遊ばせている時間というのも、同じくらい貴重なものだということを、久しぶりに思い出したのだった。