マスターへの道

外国語の教師や教室が「○○語をマスター」という言葉を使っているのを見聞きすると「大胆だな」と思う。

「自由に扱える人」、「達人」というくらいの意味だろうが、毎日辞書を引き、Google様に質問している私は母語すらままならない。日常生活にこそ苦労しないが、人様に買ってもらえるような日本語のひとまとまりを構築しようとすると、あちこちから材料を集めてきて武装しなければならない。少しも自由ではない。

「そういう重箱の隅をつつくようなことを言う人間がいるから日本人の外国語力が上がらんのや」という声も聞こえてきそうだ(主に自分の内面から)。

確かに、「この人はマスターだな」と思えるような人もいるが、本人はそんなことを思っていないだろうと推測する。

「マスター」とは自称するものではなく、誰かが勝手に向けてくる幻想、あるいは期待の類だろう。