学ぶ者、教える者は謙虚であれ『韓国語をいかに学ぶか』

「中国語おすすめ書籍」を紹介するのに、『韓国語をいかに学ぶか』という本を紹介してしまいます。

この本の主な内容は、当然ながら、「韓国語の学び方」なのですが、韓国語学習者だけが読むのではあまりにももったいない。

外国語を学ぶすべての人、そして教える人にとって、大きなヒントになる言葉がたくさん書かれています。さっそく本文を紹介しましょう。

学習を始めてほんの1、2週間目に行った試験における成績の分布が、1年の終わりまで貫徹している。(中略)学習の初期段階で、その後の進展がわかってしまう。これを〈開票速報の法則〉と呼ぶ。

最初の1、2か月にどれだけ一所懸命に学べるかが学習の成否を分けるという主張ですが、私の少ない経験からでも、著者の意見は正しいと感じます。スタートダッシュが何よりも大切です。

音を丁寧に学ぶのは、礼儀でもある。私たちはその言語を学ぶのであるから。日本語式の発音でもいいのだと、始めから決めてかかるのは、謙虚な学びを放棄した、居直りのようなものである。(中略)
発音は、理を知り、訓練を重ねれば、必ず向上する。きちんと訓練すれば、劇的に向上する 。

発音を丁寧に学ぶのは、相手への敬意だと考えましょう。

学習者にばかり発破をかけるのは不公平ですから、ここで教師への戒めも紹介しておきましょう。

学習者の質問には必ず理がある。理が支えているという点において、学習者の質問は常に正しい。学習者は質問に躊躇してはならない。基礎的であればあるほど、しばしば、その問いは深い問いである。優れた師であれば、場合によってはそうした基礎的な問いに秘められた、驚くべき理知を語ってくれるかもしれない。

水準の低い学習者など、存在しない。存在するとしたら、それは教師のほうだ。

人前で何かを行う職の人にとってはあたりまえのことであろうが、自分が教えるさまを、録画録音して検討する―教師たらんとする者、必須である。

いかがでしょうか?

これは、言語を学ぶ人、教える人への力強い励ましのメッセージが込められた本です。

学ぶ、教える、いずれの立場にあっても謙虚であることの大切さを問いています。

私はたまたま紆余曲折を経て、こうして教える立場に立っていますが、「学ぶ者」としての姿勢は同じです。

私が「驚くべき理知」を語れるかどうかはわかりませんが、授業という貴重な時間を通して、そこに少しでも近づいていきたいと思っています。