日本語の重力圏を抜け出す方法―『漢語からみえる世界と世間―日本語と中国語はどこでずれるか』

ある程度のレベルまで中国語を学習し、そこから抜け出せない「さまよえる中級者」を脱するのに必要なことは、

自分の母語である日本語と、対象言語である中国語はどこでどうズレているのか、を理解することだと考えています。(中国語に限りませんが)

英語など、文字も文法も大きく隔たっている言語であれば、まったくの”他人”である分、違いに目が向きやすいです。

しかし、中国語は日本語とは別系統の言語であるにもかかわらず、共通の文字を使い、お互いに複雑な語彙の”輸出入”をしているために、その違いに目を向けることが難しくなってきます。

日本語を母語とする人が、中国語を学習するときには、語の使い方に違和感を覚えることが多いはずです。

いちいち考えていると学習が進まないので、

「そういう習慣なんだな〜」

で流してしまうことが多いのですが、違いの背後には、両言語がみている世界の大きな隔たりが存在します。

その隔たりがどのような幅・深さを持っているかを認識せずに、あちら側へ飛び移ることはできません。

本書は、そのような隔たりやズレに、素晴らしい観察眼で着目し、鋭い洞察をくわえています。

「私は午前行きます」が不自然で、「午前”中”に行きます」の方が自然なのはなぜか。

中国語では“我上午去”(私は午前に行きます)でまったく問題ないのです。

そこに日本語話者の一日の区切り方がみえてくる、と著者は指摘します。

ここで紹介したのはごく一部の例ですが、本書を読めば、「そういう視点でみれば、日本語と中国語のズレが腑に落ちて理解できる」

という考察がたくさん提示されています。

上級を目指すにあたっては

「もっと難しい表現を知らねば」

「もっと語彙を増やさねば」

と、教材の難度を上げることに目が向きがちです。

しかし、1年生で習うような簡単な表現と母語のズレ、それが何によるものかを、「そういう習慣だ」と流してしまうことなく、著者のようにそこに踏みとどまって考察を加えることが、結果的に後の上達・深い理解につながってくるのだと思います。