出講している大学の2年生のクラスで、こんな授業をしてみた。
名付けて、「第一回・翻訳コンテスト」
まず、クラスを5人ずつのグループに分ける。
仲良し同士で固まるとよくないので、前の列から順に「1,2,3〜」と番号を振り、同じ番号の学生同士で集まってもらう。
今回はちょうど25人いたので、合計5組ができた。
座席の移動が完了したら、リーダーを決めてもらう。
まあ、立候補するような殊勝な人はいないので、「今日から数えて一番早く誕生日が来る人」などと適当にこっちで指名してしまう。
中国語の文章が書かれた紙を人数分と、解答用紙をグループに1枚配布する。
いきなり座席移動までさせられて、きょとんとする学生たちの顔を見ながら、ここでようやく説明に入る。
「これからグループ対抗で翻訳をしてもらいます。
前回言いましたけれど、辞書はちゃんと持ってきていますか?ない人は、まあスマホでもいいですけれど…」(ちなみに僕は普段から辞書を買え、できれば紙のやつを買えと言っているので、クラスの辞書所有率は、わりと高い。自慢)
さらに続ける。
「今から、皆さんに配布した中国語の文章を、日本語に訳してもらいます。さっき決めたリーダーさんを中心にして、力を合わせて訳文を1つ完成させてください。
時間は今からちょうど1時間。
どのような進め方でもかまわないので、その解答用紙に清書したものを提出してください。
各グループにつき、2回まで僕に質問することができます。
それでは始めてください」
かくして、第一回・翻訳コンテストの火ぶたは切って落とされたのである!
渡した文章は、合計1129文字。
そこそこの分量なので、辞書が引きやすいように、ピンインもつけておくという親切設計。
遠慮しているのか自分たちだけで訳したいのか、質問の権利を行使するグループは意外と少なくてさみしかった。
傍から見ていると、やはり適当なところで区切ってそれぞれの分担を決め、最後にお互いの文章をつきあわせて話のつじつまを合わせていくという形をとるグループが多かった。
ああでもないこうでもないと相談しながら、みんな熱心に作業を進めている。
またたく間に予定の1時間が終わり、解答用紙を回収。
これでその日は終わり。私は回収した訳文を持ち帰り、すべてワープロに書き起こしていった。
送り仮名やカギ括弧の有無、誤字脱字もそのまま打ち込んでいく。
提出された訳文には、グループの番号とは無関係にA〜Eのアルファベットを振っていく。
これで、どのグループがどの訳文を作ったのか、当事者以外にはわからないようになった。
翌週、印刷した5つの訳文と、小さい紙を一人ひとりに配布し、おおまかに中国語文の内容を解説した。
その後、それぞれの訳文を音読した。同じ文章を訳しても、それぞれに訳し方や文体が異なっておもしろい。
5つぶっ通しで音読したので、のどが疲れた。
それぞれの訳文を読み、聞いて、良いと思うものを2つ選んで、配布した紙に無記名でアルファベットだけ記入してもらった。
2つ選んでもらったのは、1人1票にしてもしも全員が自分の担当した訳文に投票してしまった場合、5対5対5対5対5になって引き分けになってしまうからだ。
まあ、みんなそこまで勝利にこだわってはいないだろうが、念のため、である。
投票用紙を回収すると、即時開票作業に入る。
学生の1人にアシスタントを頼んで、僕が読み上げるそれぞれのアルファベットの数を「正」の字で黒板に書いて集計してもらった。
優勝グループは、Dグループ。
ここで優勝グループの5人に登壇してもらい、表彰式を開催する。
賞品は、僕が心を込めて選んできた中国のポスターだ。
とりまとめの労を取ってくれたリーダーから好きなものを選んでもらい、あとはそれぞれ違う絵柄のものを分けてもらった。
最後に5人の「翻訳家」たちに盛大な拍手を送り、第一回・翻訳コンテストはここに大成功を収めたのであった。
実は今回使った中国語の文章は、宮沢賢治の『注文の多い料理店(中国語タイトル:吃客特多的饭店)』だった。
日本語から中国語に訳されたものを、さらに日本語に訳すという作業をしてもらったのだ。
日本語の原文を中国語と比べてみると、原文にない表現が追加されていたり逆に削除されている部分があったり、ほかにも翻訳者のミスとおぼしき部分があったりして、単なる表面上の言葉の置き換えだけでは翻訳として成り立たないことがわかってもらえたのではないかと思う。
今回の授業は、言語学者、外国語教師として著名な黒田龍之助先生の名著『外国語の水曜日 学習法としての言語学入門』の「句会風「翻訳の宴」」というエッセイで紹介されていたものを使わせて頂いた。
クラスの人数が大きく異なることから(書籍では6〜7人で、一人で訳文を作っていた)、グループでの作業にアレンジし、細かな変更を加えて実施したものだ。
この本は、僕がまだ外国語学部の学生だった頃に読んで感銘を受けた一冊で、その後黒田先生の一連の著作を通じて次第に言語学に傾倒していった。
僕が外国語の教師になったのもこの書籍からの影響が大きいと思う。
「国際化」という圧力の中で、とにかく功利主義的になり、思い詰めがちになる外国語学習ではあるけれど(自分がそうだった)、「外国語ってこんなにも楽しく学び、教えることができるんだ!」とワクワクする気持ちがわきあがってくる。そんな一冊だ。