今はこんな風に考えて日々を過ごしている。
「今日の自分は今日が終われば死ぬ。
今日の自分が生きていられるのは、今日だけ。
明日には別の自分が生まれる」
それを意識するために、こんなことを始めてみた。
毎日の終わり=死を、日付が変わる夜12時とする。
朝起きた瞬間から、死に向かうカウントダウンが始まる。
7時に起きたとすると、残り時間は17時間。刻一刻と、最期の時が迫ってくる。
何しろ17時間後には死んでしまうので、悔いのないように生きなければならない。
かつて毛沢東はこう言った。
你们青年人朝气蓬勃,正在兴旺时期,好像早晨八九点钟的太阳。
(気力に満ちた君たち若者は、あたかも朝8時、9時の太陽のごとく、生気はつらつとした時にある。)
これをヒントに、それぞれの時間帯を年齢に換算してみた。
6:00 0歳
7:00 5歳
8:00 10歳
9:00 15歳
…
という風に、1時間ごとに5歳ずつ年を取っていくということにする。
18:00 60歳
夕方6時で定年だ。もうあまり無理がきく年ではない。
22:00 80歳
23:00 85歳
24:00 90歳
90歳まで生きられれば大往生だろう。
だから、晩にだらだらと起き続けて作業するのをやめて、夜12時というデッドポイントを設けた。それを過ぎたら、いつ「お迎え」が来てもいいように、机周りを片付け、明日の準備をする。つまり「終活」だ。
翌朝生まれてくる新しい自分に後を任せるのである。
一日の中に人生を圧縮してみると、生きていることの貴さを感じられる気がする。
夕方くらいになってくると、もう「寿命」はあと6〜7時間くらいしか残っていないので、時間を大切に使おうと考えられるようになる。
仮に90年生きられるとすると、日数にして3万2872日。
3万2872人が生まれ、そして死んでいく。
3万2872人の、少しずつ違う自分が力を合わせて生きていくのだ。