中国語を勉強していてよかった

中国語を勉強していてよかった。

中国語を勉強していなかったら、流されやすいわたしは、実際の中国人を知ることもなく、メディアが流す一方的な中国情報を真に受けて「中国むかつく」とか思っていただろう。「中国なんて絶対行かねえ」とか思っていただろう。

(いまだって政治のニュースなどを見ると、ちょっとそう思ってしまうし…)

中国語を勉強していなかったら、「人を大切にする」ということが、文化によって異なることもわからず、自分たちのやり方が常識だと、思い込んでいたことだろう。

思い込んでいることにすら気づくことはなかっただろう。

中国語を勉強していなかったら、いろいろなものが許せない、窮屈な人間のままだっただろう。

中国語を勉強していなかったら、日本語がこんなにも豊かで、深みをもった言葉であることを知らずにいただろう。

中国語を学ぶことによって、自分の母語がどのような言葉であるのかを、多少なりとも突き放して眺めることができた。

日本語から見える世界だけが、この世のすべてではなかったのだ。

完璧な翻訳機が登場しても、外国語から世界を眺めたときのあの驚きを、生々しく体感することはできない。

どんな立派な翻訳機ができても、この驚きを味わえるなら、面倒でも、時間と金がかかっても、恥ずかしい思いをしても、外国語を学ぶ価値はあるだろう。

「学んだ言語の数だけ、人間らしくなっていく」

ということわざは、真理だと思う。

だから「中国語」の部分には、代わりに何語が入っていてもいい。

あなたにとって、それは何語になるだろうか。

中国語以外にも、そんな言語がたくさん持てれば、わたしもどんどん人間に近づいていけることだろう。

早く人間になりたい。