黒田龍之助先生寄稿エッセイ「ミール・ロシア語研究所『中国語専攻』の夢」

当教室のブログに、『外国語の水曜日』や『はじめての言語学』、そして『ロシア語だけの青春―ミールに通った日々』など多数の著作で知られる黒田龍之助先生からエッセイを寄稿していただきました。

黒田先生はあまりネット上に文章を発表されておりませんが、正真正銘、ご本人の筆によるものです。

ミール・ロシア語研究所「中国語専攻」の夢

黒田龍之助

1年ほど前のこと。その昔せっせと通っていたロシア語学校の話を、現代書館という出版社のホームページで連載していたとき、偶然にも「南天中国語研究所」を知った。

ネットには弱いうえ、そこに渦巻く口さがないお喋りが苦手。エゴサーチのような真似は絶対にしたくない。だがすでに閉校してしまったロシア語学校については、情報が限られていた。だから執筆のヒントになるような話題をブログで書いている人はいないものかと、検索してみたのである。

ところがヒットしたのは、意外なことに中国語学校だった。

「南天中国語研究所」の講師を務める岡本悠馬さんは、大学で中国語を専攻した後も研鑽を積み、さらには「はり師、きゅう師」の国家資格を取得して、鍼灸師としても活躍するという、見事な「二足の草鞋」。そんな若き中国語講師が、非売品の「ミール・ロシア語研究所55年の軌跡」をなんとか入手して、熱心に読んでいるのである。

そもそもミールを知ったキッカケは、拙著『その他の外国語』(現代書館)らしい。確かにそこでは「ロシア語学校M」というタイトルで、ミールのことを軽く紹介した。これが岡本さんに強い印象を与えたらしい。

「私は外国語大学の学生だった頃にこのエッセイを読んで、心底うらやましくなりました。「こんな教室で勉強してみたい!」と真剣に思いました。発音を非常に大切にする、という点は、私の母校の中国語の指導方針にも通ずる部分があり、私にもその考え方が違和感なく受け止められたのです。中国語が上手くなりたくて、大学以外にもいくつか教室に行ったりしましたが、こんな教室にはめぐり逢うことができなかった。仕方がないので、自分で教材を選んで、ひたすら音読、ひたすら暗唱を繰り返しました。だから、間接的には自分はミール・ロシア語研究所の生徒だと思っています」

ホームページの連載や、単行本になった『ロシア語だけの青春』(現代書館)を通じて、ミールの教育法に感動した人は多い。だが実践となれば、果たして何人いるだろうか。岡本さんの中国語上達は、ひとえに本人の努力の結果である。それでも「間接的には自分はミール・ロシア語研究所の生徒だと思っています」ということばを読んだわたしは、驚くとともに、なんともいえない喜びが心の中に広がっていくのを感じた。

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岡本さんのブログがキッカケで、あるエピソードを思い出した。ミール・ロシア語研究所の所長だった、東一夫先生の話である。

ミールの授業で、話題がロシア語以外の外国語になったことがあった。わたしは当時セルビア語やチェコ語、クラスメートの貝澤くんはポーランド語などに手をつけていて、もちろんロシア語が最重要ということは変わらないけど、大学などで他の外国語も学んでいるという話だったと思う。

一夫先生はわたしたちの話をニコニコ聴きながら、どのくらい深く勉強しているかと尋ねた。1年くらいですと答えると、なるほど、それではまだ初心者ですねとおっしゃって、こんな話をしてくださった。

実はソビエト滞在中、中国人と知り合いましてね。その人がロシア語を教えてほしいというのです。確かに彼のロシア語はまだ初心者だったので、わたしは教えることにしたのですが、その代わりに、わたしは彼から中国語を習うことにしたのですよ。
この中国人はロシア語を熱心に勉強して、どんどん上達しました。一方わたしの中国語はどうかといえば、まったくダメでしたね。考えてみればそれも当たり前で、中国人は街へ出ればロシア語を使う機会がたくさんありましたが、わたしが中国語を使える相手は一人しかいない。そのうち忙しくなって止めてしまいました。外国語を続けるというのは難しいことです。だから黒田さんや貝澤さんも、よほど熱心に勉強しなければ、上達はしませんよ。

わたしは、確かにセルビア語やチェコ語は止めたらあっという間に忘れてしまうから、気をつけなきゃと思ったのと同時に、一夫先生ほどの人でも外国語学習のうまくいかないことがあるのかと驚いたのだった。
いや、実は一夫先生のことだから、本当は中国語がけっこう上達したのではなかろうか。ただ謙虚な先生だし、ロシア語ほどには上達しなかったから、そんなふうに話されたのかもしれない。

ロシア語に加えて、中国語もすごく上達した一夫先生を想像してみた。もしかしたら、ミールには中国語専攻も出来たのかな、なんてね。

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岡本さんはブログでこんなことも書いている。 「私が自分の教室を厚かましくも「南天中国語”研究所”」と名付けたのは、ミール・ロシア語研究所にあやかってのことです」

これを読んだら、一夫先生はにっこりと笑って、頑張ってくださいね、でも外国語の学習は続けることが大切なのですよと、と励ましたに違いない。

わたしは一夫先生に代って、岡本悠馬さんに同じ言葉を贈りたい。

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黒田先生にエッセイを寄稿していただいた経緯

去る2018年6月25日に、わたしの母校である神戸市外国語大学で、黒田先生の講演会がありました。

その前日に、主催の先生から「終了後に懇親会があるのですが、来ませんか?」とお誘いをいただき、一も二もなく同席させていただいたのです。

黒田先生に名刺を渡して自己紹介すると、それを見た先生はわたしの肩書を見て、「あっ、南天さん!?」と言ってびっくりした顔をしていました。

「どうして『南天』という言葉に引っかかるのだろう? 黒田先生も南天という植物に何か思い入れがあるのかな?」

と、不思議に思っていると、なんと、黒田先生はわたしがミール・ロシア語研究所について書いたブログの記事を読んでくださっていて、連絡してみようかと思っていたとのこと。

まさか、自分の書いた文章がご本人の目に止まっていたとは……

寄稿していただいた文章にもあるとおり、黒田先生はほとんどネット上では活動されていない。仕事場のインターネットはもっぱらメールを読むためというし、勉強の仕方や読書もアナログそのもの。そんなわけで、わたしもまさか自分の記事が黒田先生に読まれているとは夢にも思わなかった。

向かいに座っていただいたことをいいことに、わたしは著書を読んで疑問に思っていたことや外国語の教え方について質問したかったこと(前日にリストアップしていた)をいくつもぶつけ、その一つ一つに丁寧にお答えいただいたのでした。もちろん、著書にサインもしていただきました。

座も暖まり、もう何杯目になるかわからない生ビールを口にした黒田先生が、不意にこんなことをおっしゃった。

「そうだ。岡本さんのブログにエッセイを書きましょうか!」

思ってもみなかった申し出に、わたしは気絶しそうになった。

(このときのわたしの衝撃がイメージできない人は、自分の好きな歌手やバンドが、自分のために「一曲書こうか?」とオファーしてきたらどうなるかを想像してみよう)

ともかく、そんな途方もない申し出を頂いたわたしは、ビールの酔いもあいまって、夢見るような心地で家路についたのでした。

そして、送られてきたのが前掲のエッセイ。

ミール・ロシア語研究所の所長であった東一夫先生の秘められたエピソードを開陳していただき、嬉しい言葉まで贈っていただいた。

この仕事をしていてよかった。

外国語を好きでいてよかった、勉強を続けていてよかった。

黒田龍之助先生、ほんとうにありがとうございました! Спасибо!

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