太宰治の『富嶽百景』を朗読したものをYouTubeにアップしました。


高校生のときに現代文の授業で読んだのがこの作品との出会いです。多くの方がそうなのではないでしょうか。

わたしが教わった現代文の先生は日本語のイントネーションが独特でした。「太宰」は標準的には「だ↑ざい↓」と読むと思いますが、その先生はいつも「だ↓ざい↑」と言っていました。「井伏氏」は「い↓ぶせし↑」でした。今でもなぜかそのイントネーションが耳に残っています。熱心に教えてくれたいい先生でした。

太宰治というと、暗くじめじめして、「生きててすんません」みたいな作品が多くて、それはそれで10代の心を鋭く射抜いてしまうもので、ご多分にもれずわたしも一時期熱心に読んでいました。でも、心に残っているのはこの『富嶽百景』や『御伽草子』のような、妙にカラッと明るい作品たちです。

朗読をYouTubeで発表してみようと思い立ったときに、まずは芥川竜之介の『羅生門』という名作中の名作にチャレンジした後に、こちらの『富嶽百景』に取り組んでみようと思ったのです。

『富嶽百景』には、特に筋という筋はなくて、主人公である太宰治その人が、東京でくたびれ果て、心機一転、英気を養おうと富士山麓にやってくる。そこで出会った茶店の親子や井伏鱒二氏、お見合いの相手、太宰を慕う青年たち、などなど、いろいろな人と話をしたり、行動をともにしたりするだけで、特に大事件が起こるわけではありません。事件といえば、井伏鱒二氏が山で屁をこいたり、太宰が結婚を決める、といったくらいのことです。こういう、なんてことのない場面をグイグイ読ませられてしまうところがすごいところです。

富士の霊気に感応するようなしないような、微妙な距離感で山と相対する太宰に乗り移って、つかの間の時間を過ごしていくうちに、なんだか自分の心に小さな灯がともってきます。もう何度となく読んだ作品です。これを自分の声で残してみたいという謎の欲求に背中を押されて朗読しました。

ここまで書いて思い出しましたが、中学生のときに国語で『走れメロス』を読んだときに、クラスで代表を選んで朗読のテープを作る、という企画がありました。わたしは光栄にも朗読者の一人に選んでもらって、拙いながらも一生懸命読んだ記憶があります。こうして朗読に挑戦してみる気になったのも、そういう経験が遠縁になっているのでしょうね。

よろしければご一聴いただければ嬉しく思います。