《都挺好》(第11話)の中国語表現5選

前回「第10回」はこちら

これまで明成に渡してきたお金を返してもらえることになり、これとは別に毎日50元の食費をもらえることになった父の苏大强。もらったお金の運用に関心を示しはじめます。

もう、イヤな予感しかしません。

一方、アメリカ出張中の明玉が、兄の明哲を尋ねていくことになり、失業中の明哲一家に不穏な空気が流れます。

你不理财,财不理你 Nǐ bù lǐcái, cái bù lǐ nǐ

投資の秘訣を知りたくて、大强は石天冬の店に聂さんを呼び出します。

投資を行うにあたっての心構えを説く聂さん。

老聂:它不赚钱,谁用它干什么呀。这叫你不理财,财不理你 。你爱理财,财爱理你!
―儲からないなら誰もそんなことしないさ。「運用しなけりゃ金に見放される。しっかり運用してやれば、金に愛してもらえる」ってわけさ。

苏大强:不是说有风险吗?
―リスクがあるんじゃないのか?

老聂:什么没风险啊,你玩彩票没风险啊? 你中过几次奖啊?
―リスクがないわけないだろう。あんたが買ってる宝くじはノーリスクかね? 今まで何回当たった?

(8:15)

你不理财,财不理你 。你爱理财,财爱理你!” 中国語ならではの言葉遊びです。

理财”lǐcái というのは、投資をはじめとした資産運用のことをいいます。“你不理财”は、「君が資産運用をしない」ということになります。ここまでは大丈夫ですね。

财不理你”の部分をみてみましょう。ここでは“”の意味が変わっています。ここでは“”は、「相手にする、構う」という意味で使われています。

つまり、「“财”(お金)が君の相手をしない(→お金に見放される)」という意味になります。

”は「管理」の「理」であり、「理髪」の「理」です。「管理」というのは「面倒をみて、あれこれ世話をすること」「理髪」というのは「髪の手入れをすること」ですね。

同じように見ると、後半の“你爱理财,财爱理你”は、「君が資産運用を愛する(大切にする)ことで、お金が君のことをしっかり面倒みてくれる」、つまり「大切に運用すればお金が君のことをしっかり面倒みてくれる」という意味になるわけです。

懒得 lǎn de

父の様子がおかしいことに気づいた明成夫妻。お金のことを探り出そうとします。「一度返した金を取り戻そうとしているのではないか」と警戒する大强を明成が説得するシーン。

苏明成:您把钱存在银行里准没错。你要是懒得存,弄不明白, 你把钱给我。我给你存。
―お金は銀行に預けておけば間違いない。面倒だったり、よくわからないなら俺に預けて。代わりに預金しておいてあげるから。

苏大强:你,你,你是不是想把那钱要回去?
―お前、金を取り返そうとしてるんじゃないのか?

(11:52)

懒得〜”lǎn de は、「〜するのが億劫である」「〜する気がしない」という意味で使います。“懒得”のあとには必ず動詞が置かれます。ここでは「預ける」という意味の“”cún が置かれているので、「(お金を銀行に)預けるのが億劫だ」という表現になります。

苏大强の方のセリフにある“要回去”という表現にも注目です。

ここでの“”は「もらう」とか「請求する」という意味です。方向補語の“回去”を見てみましょう。明成から返還されたお金が、また明成に「戻る」ので、“”。そして、お金は大强から「離れていく」ので“”が使われます。

まあ、あれだけ親の金を好き放題に使いまくっていた明成が急にそんなことを言っても信用する気にならないでしょうから、警戒感をもつ大强の気持ちはよくわかります。(絶対後でトラブルが起こるでしょうけれど)

通情达理 tōng qíng dá lǐ

アメリカ出張中の明玉が兄の明哲の家に遊びに行くことなりました。

明哲は失業中で、そのために父を迎え入れることができなかったわけですが、面子にこだわりまくる明哲はそれを隠そうとします。どんだけプライド高いんや……

妻の吴非は難色を示すも、なんとか夫婦で口裏を合わせてやりすごすことができました。子供にあまり関心のなさそうだった明玉ですが、明哲の娘とも仲良くなり、妻の吴非とも悪くない関係になっていきます。

明玉を送って帰ってきたあとの明哲と吴非夫妻の会話です。

吴非:我觉得明玉不仅人长的漂亮,还大气。关键是还喜欢孩子,特别好。
明玉ってキレイだし、気風がいいし、しかも子供好きだし、とってもいい人だと思う。

苏明哲:那你是只看到明玉这一方面。什么时候啊,让你看看明玉另外一面,你就知道了。
―それはあいつの一面しか見てないからだよ。いつか別の面を見れば、君にもわかるさ。

吴非:另外一面? 我觉得明玉她是一个通情达理的人。不像你说的那样。也真的想不明白,她怎么就和你的家里人闹成了那样?
―別の面? 明玉は話の通じる人だと思うな。あなたが言うような人じゃないよ。どうして家族とあんな風になってしまったのか、わけがわからない。

(25:41)

まあ明哲も自分の妹のことをずいぶんボロクソに言ったものです。

さて、“通情达理”のような成語が出てきたときには、まずは分解してみることです。

これは“通达”と“情理”に分けることができます。“通达”は「通じて、達する」つまり「よくわきまえている、よく理解している、通じている」という意味です。そして“情理”は「感情と道理」という意味。

これを踏まえてみると、“通情达理”は、「感情も道理もよくわきまえている」という意味になります。つまり、人間としてちゃんと押さえておくべきところを押さえていることをいいます。わたしは「話の通じる人」と訳してみました。

いろいろな訳し方があると思います。あなたならどう訳しますか?

走调 zǒu diào

明玉と中華レストランで食事をともにする明哲一家。妻の吴非が学生時代の思い出話をします。歌まで歌いはじめて、久方ぶりに和やかな時が流れます。

明哲の歌が調子を外れました。

吴非:走调了你都!
音を外してるよ!

苏明玉:我哥打小唱歌就五音不全。
―兄さんは小さい頃から音痴なんだから。

苏明哲:我走调了吗?
―外してたかな?

苏明玉:走调你还敢唱。
―音痴なのに歌うんだから。

苏明哲:不好意思 不好意思。
―すまんすまん。

(35:14)

歌などの音程が狂うことを“走调”zǒu diào といいます。「調子」から“走”、つまり「離れる」ということですね。“跑调”pǎo diào ともいいます。“走”(歩く)に対しての“跑”(走る)ですから、“跑调”の方が激しく音を外しているのかもしれません(冗談です)。

妹の明玉が“五音不全” wǔ yīn bù quán と言いました。「5つの音が不完全である」、つまり、ちゃんと音が出せない、ということです。

現代の西洋音楽では音は「ドレミファソラシ」の「七音」ですが、中国の伝統的な音階では音は「宮(きゅう)、商(しょう)、 角(かく)、 徴(ち)、 羽(う)」の5つに分類されます。この五音のことを指しています。

ちなみに、明玉のセリフ“我哥打小唱歌就五音不全。”の“”dǎ は「〜から」という意味で使われており、“”cóng と同じはたらきをしています。

打肿脸充胖子 dǎ zhǒng liǎn chōng pàngzi

結局、あるアクシデントによって明哲が失業してしまっていたことが明玉にバレてしまいます。気まずさのあまり逆ギレし、娘を連れて帰ってしまう明哲。

2人残された妻の吴非と明玉。「中国に帰るという選択もあるのでは?」という明玉に対する吴非のセリフ。

吴非:现在突然又宣布要撒出美国,别说同事同学之间笑话,就连辛辛苦苦供你出来的二老,亲戚朋友,兄弟姐妹,哪个能瞧得起你啊?

所以啊,有时候很多旅居美国的华人,不得不打肿脸充胖子,死活赖着不走,也不愿意说美国不好,更别提回国的事了。 “

―いきなりアメリカから帰るなんて言い出したら、同僚や学校の友だちに笑われるのはもちろん、大変な思いで送り出してくれた両親や親戚、友達、きょうだいたちにまでバカにされちゃう。

―だから、在米の中国人は見栄を張ってしがみつくしかないの。アメリカがイヤだとも言わず、帰国の話なんてもってのほか。

苏明玉:放心吧,大嫂。这事我不会跟任何人提起的。

―お義姉さん、安心して。誰にもこのことは言わないから。

(41:16)

なんだかしんみりしてしまったので、ちょっと長めに引用しました。

打肿脸充胖子” dǎ zhǒng liǎn chōng pàngzi は、殴って腫れた顔で太ったふりをする→「無理をして見栄を張る」という意味です。“”chōng はここでは「〜を装う、〜のふりをする」という意味です。

現代はみんな必死で運動や食事制限で体重を絞ろうとしていますが、昔はふくよかな体型は富の象徴でした。そこで、自分で自分の顔を殴って、それによって顔をパンパンに腫らして太ったふりをする、という言葉が生まれました。どう考えても無理があります。メンツのためにやせ我慢をする、ということですね。

せっかくたくさん引用したので他の表現にも目を向けてみます。

供你出来的二老”という表現。“”gōng は「援助をする、支援する」という意味。“供你出来”で、「あなた(ここでは第二人称というよりも、人一般を指しますが)を援助して出国させた」という意味になります。

二老”èr lǎo は「2人の老人」つまり「両親です」。

死活赖着不走” sǐhuó làizhe bù zǒu という表現。「なにがなんでも(アメリカを)離れない」という意味になります。

死活”sǐhuó は「どうしても、何がなんでも」という意味。

“赖”lài は「しがみつく、居座る、粘る」という意味で使われています。多く“着”をともないますので、ここでも“赖着”làizhe となっています。

早めにバレてよかった

「共感性羞恥」というらしいのですが、架空のこととはわかっていても、隠し事がバレてひどい目にあう、というシーンを見るのはけっこう辛いものがありますので、何か大きな話になってにっちもさっちもいかなくなってからバレるのではなく、早めにバレてよかったな、と少し安心しています。

明玉も明哲には心を開いてくれているようなので、せめて妹には弱い面を見せてやろうよ、などと思っていました。

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