このような相談を頂きました。
「担任や親にすすめられて中国語に興味がないのに、なんとなく中国語関連の学科に入学した大学生1年生」の方からです。
興味がないのに学ばなければならないというのはつらいものですね。進級の要件が厳しい大学でないことを願うばかりです。
ご相談を読んで感じたことを書いてみます。
「僕の大学には岡本先生のような面倒見のよい先生がいません。仕事だから義務でやってる感が先生から伝わってきます」
ということですが、これはもしかしたらあなたが中国語に「興味がない」こと「ヤル気」がないことを見透かされているのかもしれません。
大学の先生というのは自分のやっている分野が好きすぎて「そうなってしまった」人種なので、学生が自分の分野について質問・質問してくれば、基本的には嬉しいはずです。
あなたのことを否定するわけではありませんが、ある意味で「お互い様」な面のある可能性も考えておく方が良さそうです。まあ、ヤル気のない相手にも熱意をもって対応してやったらどうかとは思いますが。
さて、わたしが「外見も中身もシュッとしてはる」かどうかはとりあえずおいておいて、「根性をつけるにはどうすればいいか」という相談について考えたことを書きます。
根性というと「辛いことに耐えて、やり抜く力」だと理解されると思います。どちらかというと前時代的な言葉で、この言葉を嫌っている人も多いでしょう。きっと昔に「根性」の名のもとにひどい目に遭わされたに違いません。
たぶん、今は大真面目に「根性!」なんてことを言う人は絶滅危惧種になっているでしょう。大勢に嫌われている言葉であると思いますが、わたしは、心の中で自分自身に「根性」を課すことは、ある程度は必要なことかな、と思っています。
「根性」という大げさな言葉でなくて構いません。「もうちょっとだけ頑張ってみる」程度のものです。それくらいのものを身につけるにはどうすればいいか、考えました。
「根性そのもの」をつける、という行為にはあまり意味がありません。ただただ理不尽に耐える力をつけるために、ブラックバイトをしたり、山ごもりをしたり、水中息止め5分間チャレンジをしたりするのもなんだかおかしな話です。(あえて言うなら、バンジージャンプはおすすめです。一瞬で終わるし)
「根性があるから行動ができる」というよりは、「それをせずにはいられないから、多少の苦しさには耐えられる」と考えた方がいいのではないでしょうか。
あなたからは根性があるように見えているらしいこのわたしも、いきなり何の関心もないのに「インドネシアのヒトデの生態について学びなさい」と言われたら、多分すぐに投げ出すと思います。(それはそれでおもしろそうではありますが)
わたしは、あなたの問題は、根性の有無ではなくて、「多少苦しくても頑張れてしまう物事に出会えていない」ことなのではないかと推測しました。「根性をつける」というよりは、苦しくてもできることを見つけることの方を優先するべきではないでしょうか。
「やりたいこと探しをしましょう」と言いたいのではありません。そんなもの、ちょっと真面目に将来のことを考えている学生であれば、ずっと探しているに決まっています。
そうではなくて、わたしからの提案は「興味があるもの、そのためになら多少の根性も出してみようと思えるものとの出会いの確率を上げる行動をとってみてはどうだろう?」というものです。「探しに行く」、というよりは、偶然を呼び込む練習をしてみてはどうか?という提案です。
わたしがおすすめする具体的な方法は、
「月に一度だけ、普段の自分が取らなさそうな行動をとる」
というものです。
これは本当に本当に小さな行動でかまいません。
「街で歩きタバコをしているヤクザ風のおっさんを注意する」
とか
「電車でお年寄りや妊婦に席を譲らないやつを叱りつける」
とか、
「プリキュアのコスプレをして山手線を3周してみる」
とか、
そんなたいそうなことや異常なことでなくてかまいません。
たとえば、こんなものでOKです。
- 回転寿司で今まで食べたことのないネタを食べてみる
(ハンバーグ軍艦とか) - スーパーで今まで買ったことのない食品を買ってみる
(やたらと高い卵とか、聞いたこともない名前の野菜とか) - ゲーセンを見かけたら、ちょっと1ゲームしてみる
- 図書館で、全く興味のない分野の入門書を借りてみる
- AmazonプライムやNetflixで、全く興味のない分野の映画を5分だけ観てみる
など。
上に例を挙げたのは、どれも「消費系」の行動です。
これがやりやすいのは、自分は消費者つまり「お客様」として振る舞えばいいので、別に恥ずかしい思いをしなくて済む、ということです。失敗しても害は小さく、数百円程度の損失で済みます。
回転寿司は今はほとんどタッチパネルですので、店員や職人さんの顔を見ずに好きなものを注文できます。
スーパーの店員は、よほど異常な買い物(塩昆布をカゴ一杯買うとか)をしない限りお客の買う物に関心など持ちません。
という風に、人と関わる必要がなかったり、誰かから取り立てて関心をもたれることなくできる行動ばかりです。
まず、この「消費系」で、普段の自分の行動から「はみ出して」みましょう。慣れてきたら週に1回くらいはできるかもしれません。
それに慣れてきたら、「対人系」に移ります。これは少しハードルが高いです。何しろ、相手があることですから、計算できない領域の割合が増えてきます。
ここでも、最初は「消費系」がいいでしょう。つまり、
- スーパーの店員さんに商品の場所を尋ねてみる
- レストランの店員さんに「おすすめ」を尋ねてみる
という具合に、お客さんとして普通に声をかける、ということをやります。
これも慣れてくれば、頻度を増やしたり、心理的抵抗のレベルを上げて「講義で隣に座った面識のない学生に話しかけてみる」とか「店員さんと雑談する」とか、難易度を上げていってもいいでしょう。
計算できない領域がある、ということは、思わぬ収穫がもたらされる可能性が出てくる、ということです。人生を変える転機というのは、ほとんどの場合、他人がもたらしてくるものですから。
ちなみに、わたしは高校一年生の4月、入る部活を考えたときに「自分のやらなさそうなものをやろう」と思って、何を思ったのか柔道部に入ってしまい、3年間大変な思いをしました。こういうのはおすすめしません。すぐに戻ってこられるものを選びましょう。
話を戻しますと、そうやって、意図的に小さくはみ出していると、興味を惹かれるモノやヒトと出会える可能性が高まってきます。
ほかにも、「降りたことのない駅で降りてみる」とか「移動系」もいいかもしれません。いろいろ開拓してみてください。
そのような行動を繰り返しているうちに、偶然に出会ったものから、思いもかけない転機がもたらされることがあります。そして同時に、根性に育つ前の、小さな「勇気の芽」が生えてきます。
「可能性」と「勇気の芽」この2つを並行して育てるのです。
あなたは大学1年生だということなので、今は多分まだ二十歳になるかならないかくらいだと思います。
月に一回、ということは、1年で12回、10年で120回、20年続ければ240回、自分からはみ出すチャンスがあります。週一回取り組めば、20年で1040回、自分に揺さぶりをかけることができます。これで人生が変わらない方がおかしいというものでしょう。
これからの人生で、意図的に小さなはみ出しをするかしないかで、出会えるモノゴト、出会える人が大きく変わり、10年、20年後に見えてくる風景は大きく変わってきます。
例えば、「毎月1日」とか「第2日曜日」とかでもいいでしょうし、あるいは「満月の日」に定めてみるのも風流かもしれません。
昔から、満月は人を狂わせる、などと言われていますから、月に一回だけ、小さく狂った行動に身を任せてみるのも、なんだか中二病な感じがして胸が高鳴ってきませんか? さっそくGoogleカレンダーを設定して月齢を表示させてみましょう。わたしもさっき設定しました。
実践してみた結果の報告を、お待ちしています。
その後……
このようなお返事が来ました。
やりたいことを探して悩みまくるのは、自分にも経験があるので気持ちはわかるつもりです。
あれこれ手を出し顔を出し、本を読んで人に会っているうちに、何かに出会えることでしょう。自分の頭だけで考えずに、やはり体を動かすことが大事だと思います。
生きることが楽しくなる何かに出会えることを願っています。