ネットで自分をバカにしてくる人への対処法

たまに思いついたときにテキストを暗唱したり、音読している姿を動画などでネットにアップしています。

人に見られることで、「少しでも上手に表現しよう」という気持ちが生まれるので、ややもすればとにかく回数を稼ごうとして雑になりがちな音読練習が丁寧になります。

また、これを見た人が「自分も勉強頑張ろう」あるいは、「思い切って動画を上げてみよう」という気になるかもしれません。「この程度なら自分でもできらぁ」と思って、意欲に火がつく人もいるかもしれません。

まさに“抛砖引玉”(レンガを投げて玉を引き寄せる→つたないものを率先して出すことで、より価値のあるものが後から出てくる)です。

そうすれば、世の中全体の勉強の熱が0.00001℃くらい上がります。自分が好きなことを勉強しつづけることの楽しさに気づける人が増えると嬉しい。

今は、自分のためだけに閉じこもって勉強するのは、もうあまり楽しくありません。自分が学ぶことが、同時に、ちょっとでも誰かのためになると嬉しい。

ところが、そういう姿が気に食わない人というのはいるもので、結構な剣幕でコメントをしてくる人もいます。先日も1人、現れました。

自分の力が足りないということは認めますが、そこまで言う?(;_;)

仮に、A先生、としておきます。中国語の先生をしておられる方。

わたしはこの方とは面識はありませんが、すごい方だというのは認識していましたし、リプライなどで何度かやりとりしたこともあります。

一度、近くの観光地に行ったときにA先生の教室を外から眺めていたこともあります。2018年のことです。

道の向こうから教室の看板を眺めて、「ああ、A先生はここで教えていらっしゃるのだ。いつかお会いしてみたいな。機会があるなら教えを乞うてみたいものだ」と思っていました。(当時はまだオンラインレッスンが一般的ではなかったので、自分の住んでいるところからは少々遠かった)

同行者にも「ここの教室の先生、ベテランですごいらしいねん。会ってみたいわぁ」という話をしていました。

尊敬の念を抱いていた方から攻撃を受けるのは悲しいことですが、きっと何か気に食わないことがあったのでしょう。(もしも自分の教えている人が中国語の講師になって、つたない中国語で同じように動画を上げたとしても、同じようなことを言うのでしょうか)

ちょっとさかのぼってみてみると、明らかにわたしの投稿に反応したと思われる批判的な投稿が数多く並んでいました。前々からわたしのことは嫌いだったみたいです。

わたしごときのレベルの者が“誤った”情報をネットにばらまいていることが我慢ならないのかもしれません。いろいろと想像はできますが、考えても仕方ありません。

今回のような経験は初めてのことではありません。わたしは、今回のように誰かからの攻撃に遭ったときに、決してムキになって反論したり、反撃しないようにしています(実害をともなうものであれば別ですが)。

ネット上のいわゆる「レスバ」で勝利することは不可能です。せいぜい、自分の言い分についた「いいね」の数で自己満足するくらいで、決着などつきません。

レスバに没頭するあまり、相手の出方が気になって延々とスマホを見てしまう、ということになれば自分の人生を充実させるための時間が削られてしまうことになります。

だからといって、早々にブロックして何の反応もしない、ということもしません。こうして文章にしたためて、今の自分の考えていることを記録しています。家族や親しい人に愚痴ったり、負の感情を溜め込まないための「供養」のようなものです。

ネット上で誰かから嫌な言葉を投げつけられても、対処することは特に何もありません。今までどおり、自分が一番楽しいと思えることを発表し、のびのび活動していくのが一番です。

大きいものでも小さいものでも、ネット上で何らかの活動をしていて、誰かから傷つくようなコメントをされた経験を持つ方は大勢いると思います。しかし、本当に自分のやっていることが価値のないものならば、無視されるはずです。道端のアリを威嚇する人はいません。

相手が何かを言わずにはいられない、ということは、あなたのやっていることにプラスであれマイナスであれ、心を動かす何らかの内容が秘められている、ということでしょう。

そう思って、ただただ楽しく、続けていきましょう。