落語家が暗唱への道を開いてくれた―「中国の国語教科書暗唱講座 」2期目の終わりに

2期目の「中国の国語教科書暗唱講座 1年生(上)」が終わりました。

同時進行している1年生(下)がまだ2回を残していますが、2期目の終わりを迎えて、所感を書いてみようと思います。

落語に学ぶ暗唱

以前にも書いてきたことですが、わたしの学習方法は桂枝雀(故人)という落語家から大きな影響を受けています。

わたしは一時期、この方の落語にハマっていて、TSUTAYAでCDを借りてはiPod(懐かしい)に放り込み、夜な夜な聞いてはニヤニヤ笑っていました。

落語というのは一席が30〜40分ほどあり、長いものになると1時間を超える大ネタもあります。それを、演者がたった一人で、座ったまま、極めて限られた舞台装置と道具のみで演じきる芸です。

そして、落語家は数十席に上る持ちネタを用意しているそうで、桂枝雀は持ちネタを60席としてたそうです(『枝雀らくごの舞台裏』小佐田定雄 ちくま新書)。

一席30〜40分あるネタが60席も頭に入っているということは、相当な量の文章が頭に入っているということです。

もちろん、落語ですからそれを唱えるだけでは芸になりません。声色、抑揚、表情、手振りなど、身体全体を動員して演じきる準備が必要です。

本でその事実を知ったとき、わたしは、

「人間ってそんなにたくさんのことを覚えておけるもんなんやなぁ」

と、結構な衝撃を受けました。しかも、桂枝雀は英語も堪能で、英語落語にも熱心に取り組んでおられました。英語もそうやって繰り返し繰り返し練習することで身につけられたのでしょう。

桂枝雀の妻の志代子さんはこんなことを言っています。

お父さん(桂枝雀)は、休みといっても公演をしていないだけで、ネタを繰らなかった日はないです。

何もしないでご飯を食べる、お酒を飲むことに、罪悪感を感じてましたね。

落語の好きさ加減は、誰にも負けないだろうと言うてはりました。すばらしいお人でした。

『笑わせて笑わせて 桂枝雀』上田文世 淡交社 p.182

わたしの中国の教科書暗唱講座では、課題を覚えきれるかどうか不安に思っておられる参加者も多いのですが、わたしはその点は楽観視しています。好きで始めたことなら、興味をもって始めたことなら、大丈夫だろう、と。

落語家さんにそれができるのだから、同じ人間であるわたしたちにできないはずがありません。

環境と動機づけがあれば、「できる」と確信しています。

志は本人の中にしか生まれないものですが、それを継続させられる場なら、わたしが提供することができます。

自分だけの暗唱にたどり着く

古典落語といわれるものであれば、大筋はすでに決まっており、お客さんもすでに内容を知った上で聞きに行っていることがほとんどです。

同じ作品であっても、演じる人によって内容がいくらでも豊かに変わっていくということは、落語の例を引くまでもなく、音楽や演劇など、枚挙に暇がありません。

わたしは、一見無味乾燥に思える教科書の暗唱であっても、そのようなレベルにいくことができると思っています。自分が本当に文章で描かれる場面に身を置き、相手に伝えるにはどう工夫したらいいかを考えたときに、自分だけの暗唱が生まれる、と思っています。

もちろん、外国語でやる以上は基本的な発音や文法知識を踏まえておく必要がありますが、「思ったよりも自由な世界があるぞ」というのが、1年間、2期を主催してみて感じていることです。自分自身もまだまだ覚えることだけに必死になっていることがほとんどですが、そんな世界を垣間見ることを夢見てがんばっています。

23年7月開催の暗唱講座

というわけで、7月からまた新しい暗唱講座が始まります。

募集しているのは1年生(上)・1年生(下)・2年生(上)の3つです。かならずしも1年生(上)から始める必要はありません。いずれも初めての方を歓迎しています。

席がまだ少しだけ残っているので、興味を持ってくださる方が来てくれると嬉しいです。