人間、というよりも生き物の世界はマウンティング合戦、生存競争から逃れることはできません。
わたしたちはずっと他の人と比べて、自分が上か下かを気にして、少しでもいい居場所を勝ち取ろうとします。
容貌の美醜、スポーツの出来不出来、試験の成績、いわゆるスクールカースト、大学のランク、年収、住むところ…という風に、他者との終わりないレースは死ぬまで続きます。
一匹の精子だった頃から、数億分の一の椅子を奪い合う競争をしていたのだから、世の中に生まれてきた者同士の宿命だといえます。
かといって、「人と比べるなんて意味ない!」といって、競争を降りてしまうと、今度は生きる選択肢がせばまったりしますし、悟りを開いたわけではないので、結局人のことが羨ましくなって、競争の中で勝利した人に嫉妬したり、自分が情けなく思える気持ちが芽生えたりします。
わたしもこういった世の中の上下にやはり関心がありますし、気にします。
ただ、「世間的な評価」や「客観的にはあまり意味のない上下」などをまったく疑うことなく、がっちりとその磁場にとらわれてしまうのは癪に障りますので、できるだけ距離を取るようにしています。
どういう風に距離を取るかというと、いまのわたしの仕事、肩書がそれをそのまま物語っているのですが、「人が注目するメインストリートで勝負をしない」ということです。
中国語、言葉に携わる仕事をするようになったのは、大学で中国語を勉強しはじめたからです。
まあ、そんなに有名ではない、小さい小さい、ほとんど高校みたいな外国語大学です。
週刊誌とかの「○○な大学ランキング!」とかには一切登場しない、世間的にはほぼ黙殺されている学校です。
外大というのはある種特別な場で、もちろん受験して入学するまでは偏差値の上下みたいなものには組み込まれてはいるのですが、入学してしまえば、後はどれだけ専攻言語に通じていられるかが勝負を分けます。
日本の外国語大学の最高峰といわれる大学に行っていても、その言語がてんで駄目ならあまり価値はありません。
そして、外国語の力というのは本人に二言三言しゃべらせてしまえば、1秒ではっきりくっきり見えてしまいます。
比較的、入学した後の実力による明暗がはっきり出やすいものだといえるでしょう。
これはほかの学部だとなかなかそうはいきません。
スピーチコンテストなんかも頻繁に行われますが、世間的には評価の高くない大学の学生が、有名大学の学生に圧勝する、ということも珍しくありません。
なので、まあ外国語という特殊技能(それだけだとダメだとはいわれますが)があって、それである程度のことができるようになると、卒業してからもいわゆるブランド大学に対してそれほどコンプレックスは抱かなくなります。
もうひとつの鍼灸師という仕事ですが、鍼灸師という職業の社会的地位は低いというしかありません。
「アヤシイ」「何やってるかわからない」「痛いことされそうで怖い」と思われています。
免許を取るには専門学校に入る必要がありますが、いまは学校が増えてほとんどフリーパスみたいなものです。
そして、学校に入って普通に勉強していれば国家試験は通ります。
言い方は悪いですが、アホでもなれます。
資格を持っているだけで尊敬されることはありません。
しかし、ちょっとだけすごいところもあります。
自分の判断で合法的に他人の体に異物を入れることができるのは、日本では医師と鍼灸師だけです。
看護師なども注射を打ったりしますが、あれは医師の指示があって行っています。単独ではできません。
そして、鍼灸はとてつもない可能性を秘めた医術で、やり方しだいでは医師にもどうにもできない疾患を治療することができてしまいます。
社会的な地位では月とスッポンですが、局地戦になると鍼灸師の独壇場、という分野が確実に存在します。
そこを突き詰めていくと、患者さんからの絶大な信頼を得ることができます。
開業するコストもそれほど多くはありません。
(英語以外の)外国語と鍼灸師、という仕事に共通するのは、
取り組む人がそれほど多くないが、ある分野では他にはない価値を生み出すことができる
という点です。
世の中の人はあまり注目しなくても、人間ひとりが生きていくくらいのスペースであれば、なんとかこじ開けることができます。
医学部に入ったり財務省に入ったりナントカ物産に入ったりするほどの努力、才能を必要とするわけでもありません。
そのような分野を見つけることができれば、世間一般の評価レースからはある程度自由でいられます。
世間のマウンティング合戦を横目で気にはしつつ、いわゆる「偉い」「ステータスが高い」人にはなれなくても、誇りをもって、余計なコンプレックスにまとわりつかれずに生きていくことができます。
だから、この文章を読んでくださっている方におすすめするのは、自分なりに戦いやすい分野を見つけて、そこで”ちょこっと”人より努力することです。
そういう目で自分の進む道を探していれば、きっと何かひっかかってくるものが見えてくると思います。