近代日本文学で中国語の語彙を増やす

明治から戦前までの、いわゆる近代と呼ばれる時期の少し古い日本語の表記に親しんでいると、現代中国語の理解に役立ちます。

例えば、中国語に“抛pāo”という語があります。学習経験がなければ一見しただけではわからないかもしれません。では、この文脈があればどうでしょうか。

自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛り出したり、へっついの中へ押し込んだりする。

夏目漱石の『吾輩は猫である』の一節です。

送り仮名があるので、「ほうる」という読みが推測できたのではないでしょうか。

現代の私たちは「放る」と書くのが普通になってしまいましたが、この時代ではまだこの字が常用されていました。現代中国語では“抛”は「投げる」という意味で普通に使用されています。
他にも例をみてみましょう。

下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、鼻を掩った

芥川龍之介の『羅生門』からの引用です。

「腐爛した臭気」とくれば、当然鼻を「おおい」ます。中国語では“掩yǎn”が今も普通に使用されています。羅生門の中国語版でもやはりここでは“掩”が使われています。

「外国語の力は母語の力に比例する」といわれます。第二言語の力が母語の力を超えることはありません。母語の運用能力が、学習者の外国語運用力の限界を決めるということです。

英語など、日本語とは全く別系統の言語の場合、母語の力を伸ばすことによる効果はどうしても間接的になってしまいますが、中国語の場合は、日本語の語彙がそのまま中国語の語彙として利用できてしまいます(もちろん、音はひとつひとつ覚える必要があります)。

学習の段階が上がるにつれて、理解し運用できる語彙を増やすことが求められますが、私は、中国語の語彙を増やすにあたっては、中国語をたくさん読むことはもちろん、少し古い日本語の文章を多読することをおすすめしています。

古本屋で文庫が100円でたくさん売られていますし、著作権の切れているものであれば、Kindleで無料で読むこともできてしまいます。