翻訳を志す方におすすめの本を紹介します。
『日本人に日本語を〈第1部〉 翻訳者に日本語を』辻谷真一郎・著 トライアリスト東京
著者の辻谷真一郎先生は「トライアリスト」という有名な医薬翻訳の通信講座を主催されている方です。
私は会員ではありませんが、著書を通して何年も前から私淑していました。
ついこの間、単発の講座に参加して初めてお会いすることができましたので、それをきっかけに改めて本書を読み通しました。
この本は、翻訳者が生み出す日本語にどれだけ問題が多いかを指摘し、「モノの考え方を伝えて」くれます。
「問題が多い」といっても、書店でよく見かける日本語本のような、いわゆる「正しい日本語」「美しい日本語」のような知識をひけらかすものではありません。
著者はこう言っています。
私は正しい日本語、美しい日本語はどうでもよいと思っている。ことばには正しいもまちがっているもない。あるのは、不都合があるかないか。その一言に尽きる。(p83)
本書ではさまざまな悪例を挙げて「このような文を書くと、これこれという理由で理解できなくなってしまう」と、あくまでも情報伝達の正確性、効率性という観点から、訳例を提示しています。
悪い例として挙げられる文は、どこかで見たことのあるようなものばかりで、自分で書いてきた記憶もあります。
一見して「これの何が問題なのだろうか?」と疑問に思うものも少なくありません。
それが著者にかかると、一刀両断、快刀乱麻。
悪い例として挙げたものよりも、はるかにわかりやすく、スムーズに頭に入ってくる訳例を見せてくれるのです。
その手腕は、まるでベテラン奇術師の縄抜けを見ているようで、爽快感すら覚えます。
日本語とはこんなにも自由なものだったか、と。
「翻訳は英語だけできてもだめだ」と言う。その次にくるのが「日本語も上手でないと」である。これからもわかるように、あくまで英語が主で、日本語が副なのである。(p15)
読んでドキリとした一節です。
日本語「も」ではなく、日本語を「こそ」なのですね。
日本語の問題はあくまで日本語の問題である。「に」の使い方ひとつ、「で」の使い方ひとつにしても、あくまで日本語の原理によって決まるものであって、原文にinがあるから、forがあるからといって、どうなるというものでもない。その意味では、外国語のことは何ひとつ考えることはいらない。(p81)
いわゆる、原文にひきずられるという訳が生じる理由ですね。
また、医薬翻訳者らしく、日本語にはびこる奇妙な表現を「コレラウイルス」「ローマウイルス」「ソレソレ詐欺ウイルス」など、ウイルスになぞらえ、ウイルスを弁別する力のことを「免疫」に例えています。
ウイルスの名付け方がまた秀逸で、ついニヤリとしてしまいます。
「コレラはウイルスじゃなくて細菌だろ」とツッコミを入れてしまう方は、ぜひ本文を読んでみてください。
そういえば、相原茂先生も何かのエッセイで、中国語にたくさん触れて、おかしな中国語を「何かヘンだ」と拒絶できるようになることが大切だとおっしゃっていました。
われわれの母語である日本語の「免疫」はさらに高性能なものでなければならないわけです。
そして、終盤では著者の翻訳に対する心構え、覚悟を垣間見せてもらえます。
毎日毎日、同じことを何度も何度も、いやになるほど繰り返し練習する。スポーツ選手が当たり前のようにやっていることを、翻訳者はなぜしないのか。翻訳というものを甘く見ているとしか思えない。文章を書くことを甘く見ているとしか思えない。それとも、自分がそんなに頭のよい人間だと思っているのだろうか。(p266)
私はこの本、この著者に出会ってからというもの、翻訳をするとき、文章を書くときに、自分が薄氷の上を歩いていると思うようになりました。
もちろん、まだまだ鍛錬の道は遠く、このブログも乱文乱筆ばかりなのですが…
翻訳をするかどうかにかかわらず、文章を書くことを意識している人は、読んでいて決して損はしない1冊でしょう。