気づきがなければ練習は意味をなさなくなる

高校生を対象としたスピーチコンテストの司会をしました。

中国語教育が盛んな高校も増えてきているようで、年々水準が上がっているようです。

一番近いところで見ていて「高校生でよくここまで上手くなれるな」と、感心させられるような発表もありました。

一方で、基本の部分が押さえられておらず、どうにも中国語の音がちぐはぐになってしまっていたり、舞台上での立ち居振る舞いが意識できていないような生徒もいました。これは能力の問題というよりも、単に「知らない」「気がついていない」という問題であると思います。

スピーチコンテストというのはただの原稿暗唱大会ではなくて、審査員へのアピールの仕方、話の盛り上げ方などを総合的に身につける必要があるものです。

最初に正しい軌道に乗せることが大切なので、これは練習の量の問題というよりも(ある程度の量は絶対に必要ですが)、練習の質の問題だろうと思いました。どんなに猛練習をしても、フォーム(唇の形、舌の位置)が崩れていると、間違いが強化され続けることになりますので逆効果になりかねません。

生徒個人の資質もありますが、指導者がどこまで意識できているかが鍵になります。

ときどき、鬼のように才能のある生徒がポッと出てきて、ほったらかしていてもどんどん実力を伸ばしてしまいますが、基本的にはみんな能力はそれほど変わりません。スピーチコンテストは指導者の腕の競い合いという面があります。だから、引率で来ている先生方はけっこう必死です。

終わってからの交流会で、優勝した生徒の先生が審査員である中国人の先生に「この子の発表で改善するべきところを教えていただけませんか」と尋ねていました。私はそのやり取りを通訳していたのですが、「勝ってなお改善点を求めるのだから、優勝して当然だろうな」と思っていました。

わたしのクラスでも、今年はスピーチコンテストに出たいといっている学生が多いので、どこまで力を伸ばす手伝いができるか、とても楽しみにしています。