少しずつでも前進できる喜びを知る『台所から北京が見える』

「主婦にも家庭以外の人生がある」というサブタイトルがあります。「当たり前じゃない?」と思ってしまいます。

しかし、本書が単行本として出版されたのは1985年、まだ女性は結婚して家庭に入り、主婦業に専念することが当然のことだった時代でした。

著者は主婦をしながら36歳で中国語の学習を開始し、40歳で中国語の通訳になりました。

学費を捻出するために看護婦(当時の名称)の資格まで取得し、中国の病院へ行く訪問団の通訳を務めるまでになります。

本書では、会社員の夫を支え、2人の息子を育てながら、只管朗読(ひたすらに朗読)の勉強法で一歩一歩上達していった足跡が克明に描かれています。

家事、仕事、勉強に追われる日々を何年も続ける…生半可な努力ではありませんが、決して悲壮ではありません。

自分で見つけた生きがい、目標に向かって努力することの喜びが溢れだしてくるような文章です。自分の未来を広げていくことの楽しさが伝わってきます。

私が感銘を受けた箇所を少しだけ紹介します。

まったく、こんなに忘れなくても生きていけるのではないかと思うときもあるが、でもこうやることによって、自分のいれものの中に、わずかずつ、水がたまるように、ことばがしみこんでいくのがわかる。たまった水が蒸発してしまわないうちに、たとえ一滴ずつでも水を落とし続けること、それがもしかしたら「ひたすらに朗読をつづける」ということの効果ではなかろうか。

恵まれた環境はすべての人に与えられるわけではない。そうだとしたら、少なくとも自分のいまいる環境をそれに近いものに変えていく。それなら誰にでも可能だし、そのコツさえつかめば、外国語は何歳からでもはじめられる。

台所、洗面所、枕元、食堂、とにかく、あたりを見まわせば、必ず辞書が目に入るようにした。そして、なにかをしていて、ふと頭に浮かんだことばがあれば労をおしまず、まめに辞書をひいた。また逆にそこを通るときは、ちょっと立ち止まって辞書をめくって出てくることばを覚えた。広くもない家の中は、すべて私の勉強の場であった。

いまではすでに絶版になってしまっていますが、Amazonなどで古本を入手することができます。

または、お近くの図書館で探してみてください。

中国語に限らず、外国語学習に携わる方であれば、いや、自己実現のために何かを始めたいという方すべてに、大きな勇気を与えてくれる一冊です。