Facebookにはもう書き込みをしなくなってMessenger専用ツールと化し、Twitterを遊び場にしていましたが、そっちの方もしばらくはお休みしようと思います。

SNSはテレビと同じ

タイムラインを眺めていることは、ぼーっとテレビを見ているのとそう変わりません。

それどころか、自分好みの言説を選んでいつまでも好きなだけ流すことができ、ツッコミを入れると誰かが聞いて反応してくれる、という点で、テレビよりも精神に深く食い込んできて、依存させられます。

有名人やすごい人をフォローしていると、なんとなく「ためになっている」という錯覚を抱かされることすらあります。

しかし、「これは役に立つ」と思って「いいね」したツイートを、果たしてどれだけ覚えていますか? わたしは全然覚えていない。

そして、心底どうでもいい炎上事件やレスバトル、誰が検証したのかもわからない不正確な知識なども一緒に大量に流れ込んでくることを防ぐことはできませんし、わたしには情報の真贋や価値をいちいち判断する知的能力も時間もありません。

単に眺めているだけでも、そこに流れてくる言葉や画像、映像に、いちいち感情が揺さぶられ、ずいぶん疲労してしまうことに気がつきます。

自分にSNSは乗りこなせない、と割り切る

有益な情報を得られたり、素晴らしい方に出会えるSNSの世界は魅力的で、ビジネスや交遊に上手く生かしている人をうらやましく思います。(煽りではなく)毎日毎日更新しつづけられる人はすごいです。なんでそんなことができるのだろう。

わたしはそういう器用なことができるタイプではありません。定期的に「もう全部消したろかな」という衝動が忍び寄ってきます。

SNSで友達もできたので、消すことはしませんが、今回も、ちょっと離れたくなる周期が来たのでしょう。

読書と勉強、受講生のために(もっと)時間を使う

本で読む文字の数よりも、タイムラインを流れてくる文字の数の方が多くなってしまったら、ちょっと危ない。

ただでさえ、読みたい本がたくさん溜まってしまっているので、文字を読みたいという欲求の方は読書で満たすとします。

本格的に勉強したい分野もありますので、SNSは当面の間は閲覧を減らします。またそのうち眺めたくなってくるでしょう。

Twitterを見てレッスンを申し込んでくださる方も多いので、SNSでの露出が減れば、レッスンの申込みは減るでしょうが、仕方ありません。ありがたいことに、今でももういっぱいいっぱいなので、今現在受講してくださっている方にもっと時間と労力を使っていくつもりです。

大切にしなければならないのは、何をおいても、今、直接やりとりをして深く関わってくださる方なので。