勉強法は(できれば)自分で考える
中国語独学サポート(満席につき新規受付は停止中。キャンセル待ちはこちらから)では、受講者さんと一緒に学習のプランを立てます。
わたしが代わりに考えてもいいのですが、できれば勉強の仕方は自分で考える方がいい。
といっても「どうやって勉強したらいいのかわからない」「自分のやり方で間違った方向に進んでしまうのが不安」という方のためにわたしがいるので、1日に勉強できる時間を聞き取って、その人の目標や、ボトルネックになっているポイントを割り出して、「こんなんどうですかね?」と提案することが多くなります。その上で、受講者さんの特性や好みに合わせて一緒に調整していく、というパターンです。
エンディングの来ないゲーム
勉強というのは一種のゲームです。敵(課題)を把握して、レベルを上げ、目的を達成してクリアを目指すというものです。
異なっているのは、ビデオゲームにはラスボスがいるけれど、勉強にはラスボスがいないこと。
ラスボスだと思っていたのがただの中ボスで、永遠にエンディングにならない、という点です。エンディングにするかどうかを決めるのは自分自身です。
「勉強法を考える」というのは、自分でゲームをデザインする、ということに似ています。
「1日に○○をこれだけ練習して、これをノートに書いて、間違えたものはこうして……」という風に、ルールを作っていきます。ラスボスはいなくても、ひとまずの目標を設定するとやる気が出ることがあります。
あるいは、育成シミュレーションゲームのように、これといったゴールは設けず、自分自身を成長させるプロセスだけを楽しむ方法も、ありです。
で、それをテストプレイするのが自分。いけそうならば、その勉強法をプレイしつづける、というわけです。
「クソゲー」の山の中から残る「名作」
もちろん、考えたゲームのほとんどは”クソゲー”と化してしまいます。無理なスケジュールを立ててしまったり、目標に対してあまり効果がなかったり、飽きてしまったり……もちろん、プレイヤーである自分がポンコツすぎるというのが最も大きな要因なのですが。
ただ、考えついた勉強法のほとんどがクソゲー化しても、続けていけば、その中で一握りの「名作」が残っていきます。
残っていくものは、やはりルールに変に凝ったところがなくて、シンプルです。「ルール」というほどのものすらありません。わたしの場合は「掃除をしながらシャドーイングする」とか、「5分だけ音読する」とか、そういうの。テトリスやブロック崩しに似た普遍性があります。
一番楽しい部分は、自分で味わう
最初のうちは、人に作ってもらった課題をこなせば効率よく上達することができますが、慣れてきたらそれを自分なりにアレンジしたり、まったく新しい勉強法を編み出したり、教材そのものも開発したりすると、今までには見えてこなかった楽しさに出会えるはずです。一番美味しいところを人に任せてしまうのは、少しもったいない。
自分で編みだすことの楽しさに気づくことができれば、勉強は生涯にわたって遊べるゲームになります。