もう、他の分野の人だけを見ていた方がいいかもしれない

同じ分野の人を素直な心で見られない人へ

自分が携わっている分野で身を立てるため、生き延びていくために、その分野でトップクラスのパフォーマンスを出している人や、自分より先を歩いている人のこと、あるいは同じくらいのところにいる人を参考にすることは多いと思います。

SNSなどでも、やっぱりフォローするのは自分に近いことをしている人になりがちなのではないでしょうか。わたしだったら、中国語をやっている人、とか、鍼灸師、とかです。(鍼灸師の発信はあまり見ていませんが)

しかし、自分が携わっている分野には、当然自分の思い入れがが多分に入りますので、中途半端な知識があると素直にそこから学ぶことができなかったりします。(なので、心が素直な人には今回の記事はまったく参考になりません)

その分野で成果を上げている人、人気のある人が「○○は△△である」と発言すると、

「え? それは違うやろ」

とか

「そこまでしたくないなー」

とか

「なーんにもわかってないな」

とか、

自分は大したことを成し遂げていないくせに、自分の美学や主義、方針に反するものを多く目にとめてしまうことがあります。

そこで黙っていられない人は、論争をしかけたりすることがあります。そしてあまりいい結果に終わらない。

全然違う分野の人だけを見る

そんなわけで、自分が携わっている分野で伸びていきたいのであれば、あまり、というか、いっそのこと、というか、もう他の分野の人だけを見ていた方がよいのではないかな、と考えるようになってきました。

だからといって、「中国語以外の言語を学んでいる人」のような、「外国語」という上位カテゴリは同じにしたまま、中途半端なずらし方をするのではありません。

たとえば「林業」とか、「南極観測」とか、自分が一生関わらないような分野の人を見るようにする。

完全に自分が何もわからない分野なので、余計な思い込みを外して、素直な目でその分野を見ることができます。

人はこれまでの蓄積・経験から逃れることはできませんから、イヤでも自分が携わっている分野と重ね合わせてみてしまうことになります。

そうすると、無意識的に、まったく別の分野のことを抽象して、その本質を取り出して、自分が携わっている分野に生かしていくことができます。

同じ分野を見ていただけでは絶対に思いつけなかったような素晴らしいアイデアが降ってくるかもしれない。どの分野を見るか、どんな分野に出会えるか、というのも一つの才能、めぐり合わせです。

しかし、「自分の参考にしよう」という下心はできるだけ抑えておいた方がいいと思います。ただ、見る。敬意をもって観察する。

下心を持ったままだと、どうしても自分の方に寄せすぎてしまって、見る目が濁るので、あえて他分野の人を見る意味が減ってしまいます。

自分の知見は本当に「大したことがない」のか

まったく関係ない分野の人から知見を参考にされている最たる例がスポーツ選手かもしれません。

野球やサッカーをしない人の方が圧倒的多数です。でも、人々は一流アスリートが語る言葉に耳を傾け、自分のものにしようとします。

しかし、一流アスリートの言葉だけが耳を傾けるのに値するものなのでしょうか。

わたしはそうは思わない。

たとえ、その分野の中では決して一流とはいえないポジションの人が、業界内では「そんなこと当たり前だろ」と思われているようなことを言ったとしても、まったくの素人である自分にとっては宝物になりうる知見になるかもしれない。

そしてその逆もまたありえるかもしれない。自分の、全然大した事のない発信が、思いもかけない他分野の人にとっての大きなヒントになるかもしれない。

そういうものに出会える確率を高めてくれるのが、今のSNSをはじめとするネットの良さかなと考えています。