時々書いている思い出話シリーズの3回目です。
(前回:「小説で「ことば」の面白さにのめり込む」)
中国語が先か外大が先か
言葉になんとなく興味をもちはじめた高校生のわたしは、文学部やら教育学部やら、なんかいっぱい本が読めそうな学部を志望していました。
「外国語大学がいいな」と思うようになったきっかけはあまり覚えていません。外国語大学に行きたいと思って、その後で中国語を選んだのか、中国語が学びたいと思って外国語大学に行こうと思ったのか、どっちだったか、わからない。
家からそう遠くなくて、頑張れば通学できそうな神戸に外国語大学があることを知って、そこにしようかな、と思ったのかもしれません(数学が受験科目になかったし)。
いずれにしても「学ぶならば中国語」と決めていました。日本語でも漢字を使うけれど、かな文字なしでは成り立たない、「漢字なしでどうやって言葉が成立するの?」という疑問があったことを覚えています。
あとは、漢文だと「朋あり遠方より来る」みたいなお硬い響きで読むのに、「テレビなどで時々聴く中国語はなぜあんなに柔らかい響きなんだろう」などと思っていました。
タモリにあこがれて(?)
「せっかくならば”特殊能力”を身につけておくほうがよかろう」という打算もありました。
英語はできる人がすでに大勢いますので、ここから追い上げることは難しい。何より、わたしは英語が好きでも嫌いでもなく「普通」だったのです。成績は悪くありませんでしたが、抜群にできるということもありませんでした。
昔から「優秀な人が大勢集まるメジャーどころでは勝負しない」という習性があったのです。
あとは、お笑い芸人とかが時々「インチキ中国語」やっていて「あれが本当にできたらおもしろいだろうな」と思っていた記憶があります。タモリの芸などが有名ですね。
あれは中国語がわかる今見ても「それっぽいなぁ」と感心します。
ただ、後になって気づいたことですが、本当に自分で中国語がしゃべれるようになっても、ちゃんと意味がわかってしゃべっているので、別に可笑しくもなんともありません。文を組み立て、音を作ることに必死なので、真顔です。
下心のない交際関係
当時英語でやりとりをしていた外国のメル友には「日本文化の源流は中国にある。中国を知ることは日本を知ることだ」などと書いて送っていたことを覚えていますが、まあ、かっこつけてましたね(相手は女の子だったし)。
もっとこう、「三国志好きが高じて」とか「中国が台頭してくることを見越して」とか、もっともらしい理由があればよかったのですが、書くのも恥ずかしいくらい適当な理由です。
中国がこれだけ経済発展を遂げたので、よく「先見の明があったね」などと言われますが、そんなものはなくて、たまたまです。
でも、あとづけの理由かもしれませんが、そういう打算がなかったから、下心のないお付き合いをずっとやって来られたのかもしれません。仮に「稼ぐため」だったら、言葉はただの道具になってしまいますし。