小説で「ことば」の面白さにのめり込む

「中国を意識した瞬間―きっかけともいえないきっかけ」に続く、思い出話シリーズです。

今回はまったく中国(語)は出てきません。

中学1年生のときに同級生のK君が「行きたい国」として「中国」を挙げたことにハッとさせられつつも、わたしはとくに中国というものを意識せずに中学を卒業し、高校に進みました。

好きな作家が教育大卒だった

生まれて初めての入試というものを突破してやっと一息つけたかと思うと、すかさず模擬試験というものに参加させられ、志望校なるものを書かされます。

まだまだ春休みボケから抜け出せていなかった自分は、なんとなく、教育大学を受けようという気になっていました。

どうして教育大なのかよく思い出せませんが、まあ、中学生や高校生にとって、一番身近な職業が教師だったというのもあるでしょう。他に思いあたる理由として、当時自分が好きでよく読んでいた作家が教育大学出身だったということが挙げられるかもしれません。

当時、わたしは中学生のときに社会科の先生に薦められて読んだ清水義範という作家にはまっていました。この清水氏がどこかの教育大学出身でした。

「活字で笑う」という体験

わたしは図書館で借りたり、自分で本を買ったりしながら、当時出ていた同氏の作品はおおかた読破してしまっていて、部活の遠征に向かう先生の車の中でもひとりで小説を読んでいたりしました。イヤなやつですね。

その清水義範氏はさまざまなジャンルの小説を手掛けていますが、言葉の面白さに焦点を当てたユーモア小説を多数執筆しています。

その名もずばり『ことばの国』という作品があります。再びアメリカと戦争状態になった日本の社会で、外来語は敵性語だということになり、世の中にあふれる外来語を日本語に言い換えるのに四苦八苦していたと思ったら、さらには中国とも戦争になって漢語も使えなくなり、「株式会社」などをどう大和言葉に言い換えるかを延々議論する、というような話です。

他には、『永遠のジャック&ベティ』という、昔の中学校英語の教科書の登場人物が大人になって再会し、英語の英文和訳のときによく使われる「わたしは○○することを欲しています」のようなな、ぎこちなさすぎる文体で会話を続ける、という作品も強く印象に残っています。

一連の作品を腹を抱えて笑いながら「言葉って面白いんやな」と思うようになっていきました。文字だけでこれだけ笑えるということが驚きでした。

難しい本は全然読んでいませんでした(読めなかった、ともいえる)、わたしはひたすら「活字で笑う」ことを求めて読書をしていた気がします。

そういうわけで、なんとなく「言葉に関することが学びたい」と思っていたわたしは、文学部やら教育学部の国語教育課程やら、そういったところを志望校に書いて、模試に参加していました。小説好きの高校生によくあるパターンです。