パクられたときの感情の記録【解決済み】

すでに解決済みの話ですので、当事者の方をどうこう言うつもりはありません。

初めての経験なので、非難や告発のためでなく、自戒のためにも、自分の感情がどう動いたのかを記録しておきたくてここに記しておきます。

えっ、それ、わたしのプロフィール……?

たまたま目にとまった中国語教室のサイトで、講師のプロフィールを眺めていたら、「なんか見覚えある……」と感じました。

自分のサイトに掲載しているプロフィールとそっくりなのです。

自分のプロフィールなんて、作ったあとはそうそう見返すこともないので「記憶違いかもしれない」と思って改めて自分のを見てみると、やっぱりめっちゃ似てる。

これは絶対にわたしのをパクっていると確信しました。

提供しているサービスもほとんど同じだし……

本人に直接メッセージを送ればいいのですが、まあわたしも性格が悪いので、Twitterにスクショを貼り付けました。

そうするとわたしのツイートを見たご本人から連絡が来て「参考にしてしまいました」というメッセージが届き、その後確認するとプロフィールは削除されていました。

何を感じたか

「パクられる」という経験が初めてなので、自分の中に生じた感情は新鮮でした。年齢を重ねると、なかなか味わえない経験ですので、貴重といえば貴重です。

パクられるということは、自分の書いたものや作ったものに何らかの魅力を感じてくれて、それと同じようになりたいと思ってくれているというわけなので、「むしろちょっと嬉しいのでは?」という想像もしていましたが、そういう感情は少しも生まれませんでした。手が震えるのを感じました。

その程度ことは、笑って流すことができればいいのかもしれません。わたしも別に、そんなにクリエイティブな活動をしているわけではありませんし。

ただ、プロフィールのような、本人の人生や価値観の根幹を成すものを他人に使われるということはまったくいい気分ではありません。怒りともちょっと違う。自分の服の中に他人が入ってきている感じ。

プロフィール程度のさして実害のないものでさえそうなのだから、自分の生活の糧となるデザインや意匠、創作物や製品そのものをパクられる人の気持ちはどれほどのものだろう、と想像します。

「あー、これはやってはいかんことだ……」と身を持って体感しました。「どんなにありきたりのことでも、どんなに拙くても、自分の手で書かなければ」と、改めて認識しました。

もちろん、模倣という行為がはっきり白黒つけられるものではありません。(だからこそ争いが絶えない)

そもそも「学ぶ」ということも人の真似から始まるわけですし、自分がもっている知識で、完全にオリジナルなものなんてほとんどないでしょう。わたしだってものを書くときにはテキストを参考にしたり、引用をしています。セーフのつもりでアウトなことをしているかもしれない、と冷や汗をかきました。

繰り返しますが、その方にはすでに対応を頂いていますので、ここで責めるつもりは全然ありません。

「まあ、珍しい経験をさせてもらったことだし、ブログのネタにするくらいは許してね」というところで、ご容赦いただければと思います。

というわけで、この件はこれで終わりです。