苏明玉の人物を掘り下げる回
続きが気になってしまってさっそく第3話を観ました。
末っ子の苏明玉の過去、現在をメインに、彼女の人物像のディテールがわかってくる回です。
「女の子だから」という理由であからさまに2人の兄と差をつけた育て方をされたことによる、両親との確執が描かれました。
今回も劇中から気になった表現を5つ選んで紹介します。
興味深い表現が無数にあるので、「5つに絞る」という作業が一番苦労します。
《都挺好》(第3話)の中国語表現5選
势不两立 shì bù liǎng lì
母の葬儀であわや暴力沙汰という大喧嘩をした明成が、長兄の明哲に言ったセリフ。
我从此以后跟苏明玉势不两立,她活她的,我活我的。
今後、明玉とは縁を切る。二度と干渉しない。
9:04
“势不两立”は「敵対者同士が共存しない」という意味です。
興味深いのはその後の“她活她的,我活我的”ですね。“的”の後に“人生”などの語を補うとわかりやすいかもしれません。
「あいつはあいつの人生を生き、俺は俺の人生を生きる」、つまり、今後2人は干渉せずに生きる、という意味です。
怄气 ǒuqì
大学に入り、寮から実家に帰ろうとしない明玉を、父の苏大强が諌めるシーンです。
你就别怄气了啊。你说你是你妈亲生的能有多大仇啊。
いい加減機嫌を直せ。実の母娘なんだ、恨んでても仕方ないじゃないか。
11:43
“怄气”は、小学館中日辞典(第3版)には「腹が立つ、むしゃくしゃする」という語釈が載っています。しかし、これだと“生气”などとの違いがよくわかりません。
现代汉语词典(第7版)をみてみると、“闹别扭,生闷气”という語釈があります。「不満を抱く、すねる、憤る」というような意味です。“生气”と比べて、直接的でない、不満を溜め込んだ怒りであることが見えてきます。
実際、小学館中日辞典でも、用例として以下のような文が収録されています。
大家把话说开了,别怄气
互いに腹を割って話そう、心の中に不平をくすぶらせておくのはいけない
一斥责他,他就怄气
彼はしかるとすぐ不貞腐れる
小学館 中日辞典(第3版)
これまで自分が受けてきた仕打ちがわだかまりとなって、両親のことを許せずにいる明玉の心情を的確に表している語であるといえます。
お恥ずかしながら、今まで知らなかった語だったのでここに載せました。
拉不下脸 lābuxià liǎn
同じく父が娘を諭すシーンです。
你妈那人你还不知道吗? 她拉不下这脸来。
母さんの性格を知ってるだろう? 引くに引けなくなっているんだよ。
16:26
“拉不下脸”は、「感情やメンツを気にして自分の気持ちを表すことができない」ことを表します。
しかし、やたらと“面子”とか“脸”とかが出てきます。そういうことをとても気にして生きていることが伝わってきます。
软柿子 ruǎn shìzi
実家に戻った明玉、やはり母と衝突します。そして、父は例によってだんまりを決め込み、逃げようとします。それに堪忍袋の緒が切れた明玉のセリフ。
你在我妈面前就是一个任由她捏来捏去的软柿子!
父さんは母さんの言いなりにしかなれない意気地なしよ!
15:59
熟しきって柔らかくなった柿はちょっとした刺激で傷んでしまいます。転じて、他人にいいようにされている弱い立場の人をこのように形容します。
“……来……去”という形で、同じまたは似た動作を当てはめ、その動作が繰り返し行われることを表します。“捏来捏去”なので、「やたらめったら握られている」、つまり母にいいように扱われている、完全に尻に敷かれている、ということですね。
父はフニャフニャの柿のように、母に「生殺与奪の権」を文字通り「握られて」いたというわけです。
緊迫したシーンではありつつも、わたしはこのセリフを聞いて「こんな言い方があるのか!」と感動していました。
给~穿小鞋 gěi~chuān xiǎoxié
母の葬儀に参列するため、重要な商談のスケジュール変更を部下に頼んでいた明玉ですが、その部下は調整に失敗して、商談に穴を開けてしまいました。
しかし、明玉は、彼女一人の責任ではないとして、ミスを不問にします。「本当ですか?」と、信じきれない彼女を見ていた同僚の柳青という男が言ったセリフ。
明总是那种给人穿小鞋的领导吗? 她说了不罚你就不罚你了。
そんなひどい仕打ちをする社長じゃないだろう? 不問と言ったら不問なんだよ。
31:51
“给~穿小鞋”は、「〜に小さい靴を履かせる」という意味です。小さい靴を履くのは窮屈で苦しいですよね。
それを人に強いるということは、その人を苦しめるということになります。転じて、「人にひどい仕打ちをする、いじめる」という意味になります。
なんとまあ上手い表現かと、舌を巻きますね。
(おまけ)儿子 老婆
人をどう呼ぶか、どんな風に声をかけるか、というのは、外国語を学ぶにあたってかなり難しい問題です。
わたしは中国人の家族がいるわけではありませんので、そのへんの呼吸がいまいちよくわかりません。
こんなシーンがあります。
儿子
明哲
25:23
父の苏大强が息子の明哲を呼ぶシーンなのですが、実際の生活でも、親が“儿子”なんて呼ぶことはあるんですかね? “女儿”と呼ぶことは?
ドラマだけの話でしょうか? でも、日本語だったら、いくらドラマの中であっても、親が「息子」なんて呼ぶのは相当限定されたシーンになります。いまいちわかりません。
同様に、次男の明成が妻の朱丽を呼ぶときにもこういうセリフがあります。
老婆
朱丽
27:09
これはどうなのでしょうか? また中国人の友人に尋ねてみることにしましょう。
朱丽のけなげさに救われる
次男の明成の妻、朱丽は(今のところ)善意の人としてけなげに立ち振る舞っています。嫁という立場ゆえに、深く立ち入ることはできないものの、蘇一家の問題を心配し、なんとか取り持とうとしています。
彼女がこのままの純真な人でいてくれることを願うばかりです。