昨日に引き続き、思い出話です。よかったらお付き合いください。
Twitterでこんなリプをもらいました。
昔教えていた学生からです。(褒められ案件は積極的に公開していく)
いきなりでびっくりしましたが、すでに大学を離れて3年が経つというのに、いまだに覚えていてくれていて、そんな風に評価してくれているのは嬉しかったです。
このツイートをくれた「あおつん」さんは、いつも一番前に座っていて、出席を取るために名前を呼んでいくと、毎回でかい声で“到!!!”と返事をしてくれていました。ホンマにでかかった。
話によると、卒業したらすぐに中国で働くらしい。彼女は(いい意味で)ちょっと普通ではない子なので、きっと活躍してくれると思います。
わたしは2018年度で神戸外大での非常勤講師の仕事を辞めました。今の職場に誘っていただいて、そこで鍼の仕事を本格的にやっていきたかったからです。
未練はありませんが、丸6年仕事をしたので、今でも当時のことはよく思い起こします。
新型コロナウイルスのパンデミックが起こり、大学はもはやわたしの知っている大学ではなくなってしまいました。
今、どんなふうになっているのか、あまり知りません。なんとなく怖くて、大学のサイトも覗くのがためらわれてしまいます。そんな中でもみんな本当によくがんばっているようで、ネット上で様々な活動をしているのを目にします。
自分がまだ講師をしていたら、今頃どんな風に授業をしていたかな? そんな妄想をすることがあります。
しかし、マンツーマンレッスンなら慣れていますが、オンラインで20人、30人という規模で語学の授業ができる自信がありません。現場にいる人は「やるしかないからやってる」という状況でしょうけれども。
わたしの授業のスタイルは、自分が学生のときに教わった先生の影響を大きく受けています。机の間をぐるぐると回って、一人ひとり音をチェックする、というものです。
初級のときにはこういう風に一人ずつ確認するということが本当に本当に大切です。
集団になると、一人ひとりの声はみんなの声の中に埋もれます。学生はなんとなくできているような感じがするし、教える側も、みんななんとなくできているような感じがします。
しかし、実際には全然そんなことはありません。発音を個別にチェックしていくと、問題だらけです。それを、全部確認して、音の出し方をアドバイスして回る。そんな行為をひたすら繰り返して繰り返して、ものにしていきます。
これでなければ全体のレベルを底上げすることはできない、そう思ってやっていました。
でも、今はそんなことは無理でしょう。マスク必須、人との接触は最小限。オンラインと対面の併用……すでに自分が昔の人間になってしまったことを感じます。
「気の毒」という言い方をするのは失礼なのかもしれません。彼らは彼らでできることを精一杯やっています。
月並みな言い方ですが、一日も早くまともな日々が戻ってきてほしいですし、損失を受けた若者がどこかでそれを取り戻す機会のあることを願っています。