「日中対訳音読書」学習法―日本語版と中国語版を並行して読む

以前から少しずつ取り組んでいる学習法を紹介します。

名付けて

日中対訳音読書(にっちゅう たいやく おんどくしょ)

です。

用意するもの

同じ本の日本語版と中国語版

以上。

必要なのはこれだけです。この2冊があればすべて完結します。今回読み終わったのは講談社学術文庫の「中国の歴史」シリーズ第10巻『ラストエンペラーと近代中国』(菊池秀明)です。中国語版は後述する”微信读书”というアプリで読みました。



かつては中国から本を取り寄せたり、旅行に行ったときに現地で買ってきたりしなければならず、中国語版の書籍を用意するのが大変でしたが、今は“微信读书“などのアプリで探せばかなりの数の本が電子書籍で見つかるようになっています。

微信读书はKindle のようなアプリで、定額で数百円払えば読み放題になるという、中国語学習者にとってはありがたすぎるサービスです。

しかも、読み方や意味がわからない語はその場で引けてしまうので、いちいち辞書を引く必要がありません。

後述するように、よほど根気のある方なら別ですが、辞書引きに時間がかかってしまうと読書の意味が薄れてきます。

そういった意味で、わからない語を即座に引ける電子書籍の機能は、学習の効率を大いに高めてくれるでしょう。

進め方

私は、原語がどのようにターゲット言語に訳されているのかに関心がありますので、原書の方を先に読みます。

原書が日本語の本であれば日本語版を先に読み、原書が中国語なら中国語版を先に読みます。

ここでは、原書が日本語である場合を例として紹介します。

1.日本語版を一段落 黙読する

勝手知ったる日本語ですので、こちらは普通に読書するときと同じです。黙読でザーッと読んでいきます。

日本語版と中国語版の切り替えは一文ずつでもかまわないのですが、それだとどうしてもテンポが悪くなります。

逆に、1ページごと、あるいは、見出しごとに日本語と中国語を切り替えていくと、今度は少々長すぎて、さっき読んでいた内容や表現を忘れてしまったりするので、私には一段落ずつがちょうど良いです。

2.中国語版の同じ部分を音読する

こちらは自分にとっての外国語ですので、音が大事です。必ず声に出して読んでいきます。

あとは1と2をひたすら繰り返していくだけです。

こんな感じです。まずは日本語から。

ひとりの人間として見た時、溥儀は孤独と虚偽の中で育った不幸な子供だったといえるだろう。

彼は物心ついた時から両親のぬくもりを感じる機会を与えられなかった。

また皇帝として過ごす毎日は、幼い心に唯我独尊の自我を植えつけた。

『ラストエンペラーと近代中国 清末 中華民国』菊池秀明 講談社学術文庫(p.158)

これの中国語版がこちら。これを音読します。

作为一个人来说,溥仪可以说是在孤独和虚伪的环境中长大的不幸的孩子。

他从懂事起就没有体会过父母的温情。

而且作为皇帝度过的日子里,幼小的心灵滋长了唯我独尊的自我意识。

《末代王朝与近代中国 清末 中华民国》菊池秀明 著 马晓娟 译 广西师范大学出版社

「『物心がつく』は“懂事”か〜。『ぬくもり』は“温情”ね」など、自然な流れの中で単語や慣用句に触れることができます。

そもそも、私たちが母語の語彙を増やす過程も、別に単語帳を覚えたわけではなく、読書に依るところが大変大きいのですから、外国語でも同じことをするべきでしょう。

「ネイティブのように言葉を学ぶ」というのは、こういう学び方のことをこそ言うのではないでしょうか。

中国語版の音読で注意していること

わたしは以下のようなことを心がけて音読しています。

読み方のわからない字にはあまりこだわらず、とにかく読み進めていくことを優先する

とにかく最後まで読み切ることが大事です。

欲張って知らない語を全部メモしたり、片っ端から辞書を引いていると、わたしのような凡人はほぼ確実に挫折します。

何度も同じ語が出てくるとさすがに気になってくるので、そのときに初めて読み方を調べます。

微信读书だと当該の語/字を長押しするだけなので、大した手間にはなりません。

まとまった分量を見て覚え、本文を見ずに読む

一文字ずつ読み進めるのではなく、できるだけ視野を広げることを意識して、10文字ずつくらい、あるいは文の区切りのいいところまで覚えて、実際に声を出すときには目を閉じるか、本やディスプレイから目を離し、文字を見ないようにしています。(目の保護のためにも!)

やってみると、まとまった数の文字を一瞬で覚えるのは、結構難しいことに気づくと思います。

しかし、先に日本語の方を読んでいて内容は大体頭に入っているわけですから、視界に入らなくて見えなかったところや覚えきれなかったところは、中国語でどんな語が来るのか、ある程度推測することができます。

見えなかった部分、覚えきれなかった部分は、日本語版から自分で考えた訳語を口に出してみて、その後目を開けて答え合わせをします。(余裕があれば)

ゲーム感覚、遊び心が大事

訳語が自分の予想とピッタリ合っていたときはとても嬉しくて、ひとつレベルが上ったような気分になれます。間違っていたならば、それをそのまま読めばいいのです。

音読という作業は単調になりがちです。ただただ読んでいくだけだと、眠くなってきます。

対訳音読書に限らず、どんな勉強であっても、自分で工夫して、ゲームのように緊張感と達成感を得られるルールを考えてみることが大事です。

「日中対訳音読書」に取り組めるレベルは?

発音が習得できている中級〜上級の学習者
(8割以上の単語の意味と音がわかることが理想)

あくまでも私の感覚ではありますが、このように考えています。

いきなりけっこう高いハードルを設定してしまっていますが、初心者向けの学習でないことは確かです。

選ぶ本の難易度にもよりますが、教材ではなく普通に中国人が読んでいる本を読むことになりますので、当然ピンインはついていません。いちいち辞書を引いていると、おそらくすぐに挫折します。

人名などの固有名詞でやたらと難しい字が出てくることがありますが、それは気にせず適当に読んでしまったり、飛ばしてしまうという方法もありでしょう。

しかし、あまりにもわからない字ばかりですと、音読する意味がなくなってしまいます。初学者にはおすすめしない理由です。

もちろん、読書そのものが、基本でありかつ究極の言語学習ですから、いちいち音読をせず、黙読をするだけでも効果はあるでしょう。

しかし、私は自身の実感として、音読で一冊読み切る方が効果が高いと思っています。

黙読で使う感覚は視覚だけですが、音読であれば視覚はもちろん、聴覚を使い、喉を動かす筋肉をも動員することになるので、身体を通じて脳に入力される刺激が大幅に増えるからです。

中上級者でなくても対訳読書を楽しみたい人のために

それでも、一朝一夕には語彙は身につかないし、なんとかならないか? と思っている方に、以下の方法を提案します。

“有声书”を活用する

《喜马拉雅》をはじめとするアプリや動画サイトなどで、書籍を朗読した音声を聞くことができます。いわゆる「オーディオブック」というものです。中国語では“有声书”といいます。

(中には「権利関係はどうなってるの?」と思われるものもありますが、それはご自身で判断してください)

かなりの数の作品が“有声书”になっているので、気に入った作品のタイトルで検索してみて、ヒットすればしめたものです。

中国語版の方で本を眺めながらこの“有声书”を再生し、シャドーイングしながら読み進めていくのです。

知らない語も朗読してもらえるので、「ああ、そう読むのか」ということがわかりますし、中国語を朗読するときの声の抑揚のつけ方、ポーズのとり方も一緒に学ぶことができます。

語彙や発音にあまり自信のない方は、まずは“有声书”のある本からチャレンジしてみてもいいでしょう。

絵本にチャレンジしてみる

子供向けの絵本であれば、ピンインがついていなくても文字数は限られているので、辞書を引きながら読み進めてもそれほど苦にはならないはずです。

日本の絵本は、驚くほどの点数が中国語に訳されていますので、あなたが幼い頃に何度も読んだ絵本にも中国語版があるかもしれません。

絵本はなかなか電子書籍になっていないので、紙版を取り寄せたり、日本の中国語書店で購入する必要はあります。

好きな本の日本語版と中国語版が本棚にあるのはなかなかいい気分ですので、コレクションしてみてもいいかもしれません。

読書は言語学習の基本であり究極である

母語である日本語で考えてみればよくわかると思いますが、たくさん本を読んでいる人というのはやはり知識や語彙が豊富で、話や文章が上手な人が多いです。

いわゆる「教材」を使った練習も大事ですが、どこかのタイミングで読書を学習の柱の一つにして、総合的な力をつけるよう意識してみた方がいいでしょう。

先日、日本でトップレベルの中国語通訳の方とお話する機会がありました。その方もやはり「読書は大事ですよ」とおっしゃっていました。「最近の人は本を読まないけどねぇ」ともおっしゃっていました。

他の人が本を読まないのであれば、読書をするという、ただそれだけのことで、チャンスをつかむ機会に恵まれるかもしれません。(「SNSで勉強」という幻想は早く捨てましょう)

色々と偉そうなことを書いていますが、わたしもそんなにたくさん読んでいませんし、これまで、通して音読できたのは通算5冊くらいです。

まだまだ発展途上の「対訳音読書」学習法は、これからも改良していけるでしょう。そのときにはまたこの場で共有いたします。