ちょっとずつ、小さな恥をかく―一日一恥のすすめ

わたしの座右の銘

座右の銘は何か? と聞かれたら(座右の銘を人に尋ねる人なんているんかな?)、「一日一恥」と答えます。

自分で考えた言葉ですが、検索してみると、結構たくさんヒットします。同じことを考える人は、やっぱりいるみたい。

「恥」といっても、

「これまでに書いてきたラブレターの全文をネットに掲載する」とか、

「高校生のときに書いた詩を職場で朗読する」とか、

「親とビデオ通話して自分がどんな異性がタイプなのかを小一時間語る」とか、

そういう過激なプレイをするものではありません。

そうではなくて「わからないことを人に尋ねる」とか、「お店で店員さんとちょっと雑談をしてみる」とか、別に失敗してもノーダメージだけど、なんとなく勇気が必要になることを思い切ってやってみる、ということをいいます。

「一日一勇」と言ってもいいかもしれない。

毎日はできないかもしれません。わざわざ自分の枠をはみ出す、という行為は、身心が充実していないとできないものです。調子が悪いときは殻にこもることも必要でしょう。

でも、「やってみようかな? でも、恥ずかしいな」という迷いが生じたときに、この原則を思い出すと、一歩踏み出す勇気が出てきます。

思い切ってやってみると、わりと何でもなかったことに気づきますし、予想していなかった展開があったりして、人生が前に進んだりします。平坦なレールにちょっとした起伏をつけて、ライトなジェットコースターにしていく作業です。

一日一恥/一日一勇 で得られるもの

具体的に感じているメリットはこんな感じです。

謙虚になれる

「あー、この程度のことでビビってる自分って小さいな〜」とか、「わざわざ余計なことをしてる俺ってバカだな〜」と思えるようになります。

自分のいる環境に慣れ、安全なポジションを手に入れて、恥ずかしい思いやみじめな思いをせずに済むようになると、人は傲慢に、怠惰になっていきます。

そこにあえてストッパーをかけるために、自ら恥をかきにいく、ということが必要です。

もし、他人に恥をかかされるのであれば、それはただの屈辱なので、人間関係がおかしくなります。

自分で自分をけしかけるからいいのです。

意外な展開になっていくことがある

何かを思いついても、実際の言動をともなわなければ、世の中に波は立たず、予定調和の凪のまま、人生が過ぎ去っていきます。

そこに、あえて石を投げ込むつもりで、小さな行動を起こします。

行動を起こすまでは結果を悲観的に予想しがちです。特に対人では。

「無視されたらどうしよう」とか「気持ち悪がられはしないだろうか」と、不安が先立つことが多いでしょう。

でも、世の中というか、他者、というのは、自分が想像するよりも暖かい反応をしてくるものです。

自分の行動がきっかけで、思わぬ優しさに触れることができたり、心温まる場面が生まれたり、今後の未来を拓くきっかけができたりします。

固くしまったネジも小さな振動でゆるむ

これを読んでいる方は、もしかしたら普段、自分の人生の可能性が閉ざされている、あるいはきわめて限定されているようにみえているかもしれません。

しかし、しっかりと締められたネジも、細かな振動を受け続けると緩んで外れていきます。

自分の人生も、小さな揺さぶりをかけつづけると、がっちり固定されていたと思っていたものが、意外に簡単に外れてしまうことがあります。

そんな小さな変化が積み重なっていくことで、大きなうねりを呼び込み、人生が変化していきます。

失敗しても残るもの

仮に無視されたり、気持ち悪がられたとしても、だからなんだというのでしょうか。ただ、それだけ。別に財産をとられるわけではないですし、選挙権を失うわけでもありません。

相手の反応はなんだってかまわない。

「少しだけ勇気を出せた」という自分の記憶だけは残ります。その記憶を作ることができただけで、成功です。

小さな勇気を出していけるかどうかで、数十年後に見える風景は変わってくるだろう。そう思って、毎日「少しだけはみ出してみる」ということを繰り返しています。