阪神大震災のときは神戸市の北にある三木市という田舎街に住んでいました。なので、わたしは被災していません。
地震のあった日の早朝、わたしは二段ベッドの上の段で寝ていました。やたらとベッドが揺れるので、父がふざけてベッドを揺らしているのかと思っていました。
その父が「地震や!」と声を上げて、はじめてそれが地震であることを知りました。
急いで家を出て、しばらく家族全員で車の中で待機していました。暗闇に輝く車内のデジタル時計の表示を見つめていたことを覚えています。
もう揺れが来なさそうだということで家に戻り、散らばったモノの後片付けなどして、テレビをつけると、街が燃えている様子が映っていました。
わたしはアホな子供だったので「恐ろしい」とか、「大変なことが起こってしまった」という実感はありませんでした。その火の近くで地獄の苦しみを味わっている人が無数にいることが想像できませんでした。
わたしが住んでいたところはそれほど大きな被害がなく、自宅も戸棚の物が壊れたりした程度でした。近所の文房具屋がちょっとした火事になっていたくらい。
親類の多くが神戸に住んでいたのですが、みんな西区や須磨区の山側など、被害が比較的軽微なところに住んでいたので、誰もケガなどせず、家が壊れたりもせず、被災という被災はしなかったのは幸運でした。
神戸市西区に住んでいるいとこが、学校が休校になったか何かで家に遊びに来ていて、せっかくなので自分の通っている小学校に一緒に連れていきました。
1日だけの登校だったのに、臆することなく教室に紛れ込み、人見知りもせずに友達を作ったりして、「この子はほんま立派やなぁ」と感心していたことを覚えています。
そんなわけで、アホな子供だったわたしにとって、阪神大震災は、なんだかよくわからないがすごいことが起き、非日常の日々がしばらく続いた時間、という記憶しかありません。
1/17が来ると、別にそんなこと感じなくてもいいのに、少し後ろめたいような気持ちになります。